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ホトトギスの初音を聞く [日録]

終日、しとしと梅雨のはしりのような雨でした。
朝、ホトトギスの声が聞こえてきたので、なにやら心に灯が点ったように明るくなった。
初音! と思ったからである。どうして季節の最初に耳にしたとき、嬉しくなるのだろう。
ウグイスはもう毎日朗々たる声で鳴いているので、ああ又鳴いている、と思うくらいになってしまった。
全く、勝手なものだ。申し訳ない、ウグイス君。
ホトトギスは、細かに降る雨の中で、一日中鳴いていた。

実は、「台峯を歩く」会で先日の20日(日)に歩いてきたのですが、ブログに入れないままになってしまっていた。でも来月の会は、予定が入って休む事にしたので、この日のことを簡単に記しておくことにします。
この日も、道端の春の花たちにたくさん会うことが出来ました。菊の花に似たハルジオン、そしてヒメジオン、その見分け方を教えられました。良く似ていますが違う種類で、咲く時期も少し違う。一番よく分るのは茎を触ってみて、中が空洞なのがハルジオン。花自体はとてもよく似ていますが。そのほかスイカズラ、卯の花、マルバウツギ、ハコネウツギ、ノゲシ・・・など。
木の花では、ミズキが終わって青い実になり、同じ白い花を咲かせるエゴノキも散っているところ。

最初の田んぼに着きますと、嬉しい事に今年も生き残っていたようで、苗代が作られ、田んぼには水も張られていました。傍らには黄ショウブの花も咲いていて。水溜りにはオタマジャクシの姿も見られ、シュレーゲル蛙も鳴いていました。石の上に何やらいたのは、カルガモで、一羽だけ蹲っていたのですが、水が少ないのでオタマジャクシのほとんどはその餌になってしまうだろうとのことでした。とにかく今年も稲田が見られるのは嬉しいことです。

面白かったのは、「落とし文」を教わったことです。ケヤキの葉をくるくると巻いて、そのなかに潜んでいるゴマダラ・オトシブミ。栗やクヌギが多いそうですが、オトシブミも種類が多くて、巻きかたもいろいろなのだそうです。

第二の田んぼは、もう絶望的でした。辺りは大開発、元田んぼには一面のクレソンが丈高くなり、白い花を咲かせていました。
谷に降りての湿地帯のハンゲショウは、まだ青い葉で、白くなるのはもう少し先のことです。
水場にはヤマサナエというトンボの姿が見られました。これはオニヤンマと似ているのですが、胴が短いのです。何事も知れば知るほど奥が深く、知らないことがたくさん出て来るものですね。興味は尽きることがありません。
今日は簡単に、これまでとします。
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「東京カテドラル聖マリア大聖堂」でのヘンデル「メサイア」 [北窓だより]

ブログをすっかり怠けていました。
異常なジグザグ模様ながら季節はすすみ、緑の季節になりました。
いま黄色いのは竹林とシイの木などの常緑樹で、これから日ごと緑が深まっていきます。
今年もたくさん咲いたシャガやエビネの花はとっくに終わり、サギゴケは盛りをすぎ、今はユキノシタが満開です。今年も筍は出ましたが、何しろ狭い上に放っておくばかりの庭なので、出てくるだけでも大したものです。
このようにこの家の草花は、シダ類があちこちに芽を出すことからも分るように皆日陰に適したものたちで、向いのバラ一杯の庭とは対照的で、お向かいさんとも「お互い陰陽ですね」、と言ったりしていますが、まさに暮らしそのものも同様だなあ、と思うのでした。
そういう日常とはちょっと違った感じですが、カトリック大聖堂、丹下健三が設計した有名な教会へ音楽を聴きに出かけてきました。若い友人のTさんが所属する例のコール・ミレニアム合唱団も出演するからです。


ヘンデルのオラトリオ『メサイア』は、当時でも大変有名であったようで、あの「ハレルヤ」の合唱が入った、イエスの誕生から受難、復活までを描いた壮大な宗教楽劇、モーツアルトもこれを編曲して、隠れていた魅力を引き出したとか・・・これは付け焼刃的に「毎日モーツアルト」で最近知った知識などを動員して、鑑賞の手引きとしたのでしたが・・・。
この曲の全曲を目の前で聴くのも初めてながら、大聖堂の中で聴くというのも始めての経験でした。
音響的にどうかというのは分りませんが、教会の中心部に向って円錐形にそそり立っていくむき出しのコンクリートの壁面、それにそって独唱や合唱が沸き立ち吸い込まれていくような感じで、なかなか良いものでした。聴衆もあの木の長い椅子の部分の他にたくさんの補助椅子が並べられていましたが、ほぼ満席で、復活と高らかな勝利宣言へと高まっていく音楽の効果もあって、最後はブラボーという声があちこちから上がり、拍手も長く続きました。
でも、ブラボーといっていいのかな、とちょっと思う。それは客観的な評価であって、ほんとうのクリスチャンであれば、感極まって涙するのだろうか、そういう力を持っているにちがいない。信仰のない私はちょと戸惑うと同時に、そういう人の意見を聞いてみたい気持ちになりました。
聴く方もなかなか充実したひと時でしたが、合唱団の一人として歌っている方はきっと感動をもって歌い上げたに違いないと思います。ここに至るまでのいろいろな雑事、ここに至るまでの猛練習、多くは職を持った人たちで、その間に練習を重ねているようですから。
上気したようにも見える顔で引き上げていく団員の人たちに大きく拍手!

もう真夏のようになった日の、涼しくなってきた夕べのひと時でした。
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「公園」になってしまった六国見山 [日録]

散歩道であるこの辺りが、最近整備されていたのは目撃していましたが、いよいよ公園としてオープン(?)しました。森林公園と銘打って、立派な看板も出来、ベンチや水飲み場も設置され、駐車場がないだけいいのですが、複雑な気持ちになっています。山道は階段状に拡幅されて、ブッシュも整理され、樹も伐採されて見晴らしがよくなり、たしかに気持の良い空間になりましたが、私には魅力が薄らいでしまいました。市はずいぶんお金をかけたようで(総工費4000万)、たしかに床屋に行ったようにサッパリしましたが、麓には歌壇向けの花なども植えられて、いかにも小奇麗な公園風、昔のもしゃもしゃ髪ながら個性的な風情がなくなってしまったようなのです。
私の個人的なわがままでしょうか。ここは今まででもガイドブックにも載っているオオヤケの散歩道。でも大した見どころがないので(興味のない人には)、訪れる人は少なかったのですが、この4月始めに整備が終わり、広報にも紹介され、また宣伝もされたので、早速グループで次々訪れているようです。

「公園」という言葉、概念について、ちょっと考えさせられました。公開されている「庭園」は、公園とはいいいませんね。もちろん公園の中に庭園が属している場合もありますが。自然をなるべく生かした形で
整備(手助け)しながら、人間もその一部として、ちょっとその中を散策させてもらう、という形の丘は、なんと名づければいいのかなあ、公園ではないのではないのだろうかと、思ったのでした。
でもここは観光地の端っこですから、こうなっていっても仕方ない事でしょうか。またお役所としても、こういうきちんとした形でなければ、予算が使えないのでしょうね。
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