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「ベトナム&チャンパの旅」 [北窓だより]

19日から一週間ほどベトナムへ旅をしてきました。
これは「ホリナータ」というヨーガグループを主宰なさる堀之内博子先生ご夫妻の企画によるもので、私はまだ新参者ですが参加してきました。修行を経ていっそう静かな美しさを内に湛えられている女神のような博子先生とそれを支えられるシタール奏者である幸二先生のご尽力、何度も下見をした末の特選の旅であったようで、各地の最高級のホテルと吟味されたレストランに、これからは決して味わえないだろうという思いの満足感に堪能し、まだ夢見心地と旅の疲れから抜けきれずぼんやりと過ごしています。一行は30人もいたのですが、皆ユニークな人たちで楽しくつつがなく旅を終えることが出来ました。

ツアーの内容は、ヨーガという性格からベトナムというよりはベトナムに残っている(滅ぼされた)インド文化であるチャンパ(現在残っている少数民族のチャム族の祖先)王国の遺跡を巡る旅だといっていいでしょう。
最初の日はダナン泊(ホーチミン経由)、次にインドの神々の像が収蔵されているチャム博物館を見た後、ホイアンへバスで行き、そこでゆったりと3泊。世界遺産にもなったホイアンは、当時世界的な貿易港であり(後ダナンにその役割を奪われたがそのために、古いものがそのまま残ったといえる。)、日本とは大変関わりが深く、御朱印船貿易の時代日本人町があり、珍しい形をした日本橋もあり、その後は中国人、すなわち華橋に独占されるに至ったが、かれらの古い建物も今では文化遺産として名所となっている。
ここでのホテル(旧市街からは少し離れたリゾート地にある)も素晴しいものだった。河に面した瀟洒なホテルの背後は白砂がつづく南シナ海へとひろがり、連なる椰子の木の下にはニッパ椰子で葺いた傘のような日覆いが並び。ホテル内にあるプールの周りにはゆったりと昼寝用の寝椅子がいくつもピーチパラソルの下で待ち構えている。海風を一杯に入れたレストラン、いたるところに蘭を根付かせたりもして熱帯の樹木、ハイビスカスをはじめ色とりどりの花。部屋部屋を結ぶのは洒落た小路であり、ブテックもエステもあり、部屋は床はもちろん調度品、天井に至るまで凝った木組み細工であしらわれた、上品でハイセンスな落ち着きのある部屋は、スイートルームではなかろうかと思われるほどの素敵な造りだった。どこに行かないでもここで暫く滞在するだけでもいいと思わされるくらい、ほっと心やすらぐ部屋であり環境であった。
それらに浸り、安らぎながら思うのであった。ベトナムという国は亜熱帯と熱帯であるから、とにかく草も花も動物も魚も湧き出るように生育する、すなわち美味しい食料は豊富である。そしてこの地の人間は、個性の強い西洋人と比べて温和で物静かで、従順である。やってきたフランス人が、この地でいま私が味わっているような生活を日常のものとして手に入れたがった気持が分るような気がする。だから植民地にしたかった。それを手放したくなかったのだろうなあ・・・。もちろん貿易とか何とかいろいろな利益のためだろうが心情的にはここでのここでのリゾート的生活が、彼らにはこたえられなかっただろうなあ・・・と。
そういう状況に今じぶんは、単なる観光客としてお金を払ってのことだけれどいる。そういう気分を味わっている。客という主人格として・・。西洋人も多いここにいて、ベトナム戦争を知っている同じ東洋人として複雑な気分にもなるのだった。それほどこのホテルでの生活は優雅で豪奢なものに感じられた。
ここで、初めて誘われて、全身のオイルマッサージなるものを体験した。

ちょっと脇道に逸れましたが、ホイアンでのスケジュールは、先ず翌日朝食後早々にチャンパ王国の聖地ミーソンに行く。ここは簡単に言えば森の樹木や草に埋もれて残る祠堂や神殿が60ほどもある遺跡跡。ここにはシヴァ神が祀られ、ヒンドゥー教を主として仏教と土着信仰の混じりあったものが信仰されていたようである。ベトナム戦争で破壊された跡の生々しいものも多い。そこではチャムの音楽とチャムダンスが時間を限って野外舞台で演奏されていて、日本で言えば国宝級の笛の名手の演奏を聴く。
その日の夜は、これもミーソン行きと並んでこのツアーのメインでもある満月の夜に催されるというランタン祭り(電灯の明かりを消して色とりどりの布で作ったランタンを町中灯して過ごす)を見ながら川辺の料理店で食事。その後町を散策しながら雰囲気を味わう。
翌日は美しいホテルの前のビーチでヨーガ。後は自由にホイアンの旧市街での市場や雑貨店めぐり。昼食には又庭園の美しいホイアン名物料理店で食事など。

次の日は、またダナンからホーチミンに出て、ここでも繁華な市の中心にありながら河に面した絶好の立地にある最高級の高層のホテルに宿泊。ここでもホテル内ではなく最高のベトナム料理店と名高いレストランにちょっとお洒落をして出かけました。
翌日はもう帰途につく日ですが。0時発なので、オプションツアーとしてメコン川クルーズに参加。対岸に渡り、ココナッツ製造所や蜂蜜採集、果樹園ではフルーツの食べ放題、後手漕ぎボートに乗ってニッパ椰子の繁る支流を下って密林の探検気分を味わいながら又船着場に戻る、観光の目玉をも体験。
その後はホテルに戻っていよいと帰国の運びとなりました。
翌朝7時過ぎに成田到着。
お疲れ様。この上ない企画と道中も細かな心遣いで皆を引き連れていってくださった両先生に感謝しつつ、旅がつつがなく終わったことも神々に守られての事と思いなしつつ、旅装を解いています。

窓辺で鶯鳴く [日録]

数日前、窓の外で何かがぐずぐずと声を出しているのに、あ!鶯が声繕い・・と思っていたのだが、今日やっと声を発したのを聞いた。まだ様になってなくて、ホケホケといったり、尻切れトンボになっていたりするのも可愛らしい。声もまだささやき、つぶやき程度。これが春たけなわとなると、林全体に響きわたる高い声になるのだから面白い。どの鳥も囀りを持っているのだけれど、その差の大きさと声のユニークさで抜きん出て、「初音」を愛されるのだろう。

とにかく日本人にとっては鶯の声は特別で、又その声もあたりを制するのですが、その声自体を賛美表現したものはあるかなあ・・と思ったとき、私の頭に浮かぶのは、同じく声を愛されるホトトギスで杉田久女の
     
      谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま

で、まことに春半ばから夏にかけての鶯の声は、「ほしいまま」という感じで響き渡るのですから。

ご存知の通り鶯は、姿としてはかなり地味な方で、鶯色というのはむしろ目白の方がふさわしく、こちらはくすんだ緑だし、冬場は藪の中にひっそりと暮らして、いわゆる笹鳴きというつぶやく声を出すだけである。白いアイラインを持つ目白の方がしぐさも姿も可愛らしく、鶯の方は眼も切れ目の感じで身体も細身、きりっとしているがどこか怖そうな女人を思わせる。でもやはり貫禄があるなあ。
さて、その声を聞いた私はやはり胸が躍って、ちょうど障子を開けていたので、慌てて声のあたりを眺めると、いましたいました! 声を出すたびに羽根を小さく広げ、パタパタさせながら喉を震わせている。懸命に練習をしているのでした。
それを見ているとなんだか私も元気が出てきました。ちょっとこのところ気分が落ち込んでいたのですが、今日の春めいた日和のせいもあって、それを眺めているうちに次第に内から元気が出てくる感じがしたのです。やはり春なのだなあ・・・と。春に感応して、そんな小さな生き物でも、これからの春に向って生きようとしている。囀ろうとしている。それは多分本能でしょう。そして同じ生き物である私の中にも、そういううごめきがあるのを感じる思いがしたのでした。それを十分に感じながら、さあ、元気を出さなくちゃあ・・・と。

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