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洞門山破壊(つづき) [北窓だより]

最後に、私の発言を入れて、この項目は終わりです。

先ず、この土地の古い大地主であるK氏であれば、その土地への愛着は強くまた大切に思っていらっしゃるにちがいないと思いますが、いかがですか? の問いを、YES NO で答えてください(直接本人から聞きたいが、それに代わって全権を委譲されていると言っているあなた方に)と訊ねた後。

それでは、ここの風景、雰囲気のシンボルのように見られ、映画でもまた文学上にも登場している地を壊す事について、どういう気持ちを持っていますか。それに代わる何かヴィジョンをお持ちなのですか、それをお聞かせくださいと言い、そこが描かれている作品を一例としてここで朗読させていただきます、と提案しました。

もっといい例があるかもしれませんが、最近出たヴィジュアル新書『「鎌倉百人一首」を歩く』(集英社・2008.5.21)著者:尾崎左永子(鎌倉ペンクラブの会員たちが、鎌倉で詠んだ古今の短歌を集めたもの)、この辺の本屋ではガイドブックの一つとして平積みになっている、の中から、その辺りを描写した部分(短歌に尾崎さんが解説していて、そこに出てくる)があったので、それを読みました。(コピーも20部作りましたが、これでは到底足りませんでした)
それをここに掲載してみます。
短歌は、石原吉郎さんのです。私は詩人としてしか知らず、『北鎌倉』というのは詩集とばかり思っていたのに歌集だったのですね。

「鎌倉の北かまくらの夕みどり触るるにとほき肩をもつ人
                            石原吉郎
 横須賀線が大船を出て、東海道線の鉄路と分岐し、町屋の間をしばらく走ると、あたりに急に緑が多くなる。山がいくつも見えてくる。夕日の反照に光っていた線路も、急に山陰に入って銀いろに変る。そして電車は片側の細長い駅廊に滑り込んでいく。北鎌倉である。木の柵の向こうに細い道、そして駅に近いのに静寂を保つ家々。「北鎌倉」の駅名は「鎌倉」とちょっと異なる響きがある。小津安二郎のモノクロ映画に登場した時代とほとんど変らない、独特の雰囲気をもつ。円覚寺、明月院、東慶寺、長寿寺、多くの名刹に囲まれた、寂かなたたずまいの町である。人が大声を立てて笑い転げるような喧騒な町とは無縁にみえる。夕ぐれの青葉若葉、日陰、山陰、木陰、どこにでも陰がある。しっとりと、北鎌倉の雰囲気を、この歌はよく表している。そして、愛していても告白をためらわせ、近付こうと思っても何か気後れさせる、美しい女人。育ちのよさは品格でもあり、生まれつきの威厳でもある。・・・(後略)・・・    」

最初の問いと朗読の間に、向こうがどう答えたか、覚えていません。やはり上がっていましたし、時間もないので急いで朗読しなければと思ったし・・・。でもここに描かれているような「山々」も実は線路側から見れば山ですが、手前は開発されて緑は屏風に過ぎなくなっている現在、このシンボル的な駅前の緑を破壊する事は、大きな一撃を加えるようなものだという意見だけは述べたかったのでした。
世界遺産の登録を考えていると言う鎌倉市、とんでもない事、そんな資格、品格などないではないかと思ってしまいます。

洞門山破壊説明会 [北窓だより]

23日(日)の6時から始まったこの説明会は、雨模様の雲の下、急に寒さに襲われた日でしたが、会場は人であふれ、その熱気で上着を脱いでしまうほどでした。これほど人が集まった事はなかったと、司会をした人は言っていました。50脚ほど並べられた椅子も足りなくなって、横にも後にも人はひしめき扉は開け放ったままになりました。
説明側のプリントも足りなくなったようです(これも社員が3人もいるのだから誰かが走って行ってコピーをしてくればいいことなのに、などと最後にはからかわれる程でしたが)。私は10分ほど早く行ったので座れましたが、開催時間間際に、どっと人は集ってきたのです。この地に住んで古い人、新しい人、老若男女、小さな子ども、ワンちゃんも(?)一匹いたようです。
参集者の意識も見識も高く、業者はしだいにたじたじとなり、まだ市の開発許可は下りていないようなので希望が持てそうな雰囲気でした。

結果を先ず報告すると、地権者であるK氏(近くに居住しているのだから、いま連れて来て下さいという声も)が顔をみせていない(自分たちが全権を任されていると最初は言ってましたが、色々突っ込まれて返答に窮していました)、そして説明も調査も不十分な(これもただ地図上に線を引いただけの図面、素人にはちんぷんかんぷんの細かな設計図など12枚)、また何よりも設計者(説明している会社)がこの地の環境・風景における重要性について何も知らないということが、質問者の様々な突込みによって明らかになり(彼らも終わり頃になるとそれが少しは認識するようになったようで、この説明会も皆様の意見をうかがうという内容であることに、なって行ったようです)と言う事で、全面的に工事着工(部分的にも色々質問あり、指摘、提言は出たものの)に反対が、総意であることをK氏に伝え(この会場の発言は録音してK氏に渡すと司会から提言されている)、近いうちに改めて会合を持つこと(その日取りも決めさせようとしましたが)、その時はK氏が必ず顔を見せること(話の中で、実はもうこの土地はK氏が誰かに売ってしまい、しかしまだ名義はK氏であるらしい、問題になるところによくやる手)、そしてここは風致地区であるため(樹を一本切る事も届出が必要)市の担当職員も立会いの下、話し合うことと言う満場一致の決議に至りました。

これを設けたのはもちろんK氏依頼による施工会社ですが(大手の会社は、事情を知っているので、またもめる事は承知しているので引き受けない。聞いたこともない小さな会社です)、彼らも仕事を取ること、また生活もかかっているので必死でしょう。ですからそういう人たちに向かって色々言っても空気に話をしていると同じなので(発言の言葉)ちゃんとした地権者と(金銭的に何とかしたいなら、それを市に買い取ってもらうとか何とか、いろいろ腹を割って住民と話し合うことだと)向かい合う必要がある、そこを壊す理由、信念、ヴィジョンなども。また風致保存地域であり、歴史的な風景、市側(建設課、緑課、など縦割りで横の連絡がないので、個別の許可でミックスされて許可が出る可能性あり)の立会いも必要。

この会の進行をしたのは、「町づくり協議会」の会長とこの地の町内会長です。
町内会長が、好々亭の主人である事をしり、ほっとしました。廃業したと言っても、この山の所有者と組んで開発側に回ったのではないかと心配したからです。
あの赤トンネルは、やはり手掘りで昭和10年ごろお祖父さん(父?)が掘ったもので(その人はとても変わり者だったといい、料亭にしたのはその後と言う事らしい)、それを自分が壊すわけには行かない。壊させないと言っていました。会場では「山の内瓜ヶ谷の戦後の原風景の聞き語り」をしているグループのチラシを貰ったり、台峯を歩く会の人も来ていましたし、多くの人たちが立ち上がっているので、何とかここは守れるのではないかと思い、少し安心しました。
この「町づくり」会長さんにより、会社が示せなかった開発が施工された時の風景図面のパノラマが示され、第1期工事,第2期工事と、どうなっていくかを見せてくれました。そして大きな二つの質問をした後に皆もいろいろ質問したのですが、それぞれに義憤を持って集った人ばかりであるため、誰もが発言したいようで、発言する隙がなかなかありませんでしたが、私も終わりごろ一応発言してきました。それをこの次にここに入れることにします。
実は私はこの区域に隣接して住んでいるのではありません。駅から歩いて峠に至り、少し下ったところにあり、旧鎌倉とは少し違います。まあ周辺部だといっていでしょう(だから住めたということでしょう)。でもこの頭上を大きく開発したのが同じK氏です。会場で知ったのですが、やはりそのK氏で、名前が違っているのは、その息子であることを誰かが訊いて分り、その時発言者が「ああ、やはりそうですか」と言って笑いが起こったのは、血は争えないと言うか、政治家も世襲が流行りですが、開発もやはり世襲のようです。では今日はこれまで。

洞門山の破壊について [北窓だより]

洞門山が無くなるかもしれないので、雨が上がった日に写真を撮ってきました。ほぼ全景を線路をはさんで両側から。近くからは赤いトンネル、たとえここが〈交渉の結果〉残されるとしても、埋められてしまい、入口から望める明るい出口の眺めはなくなるでしょう。穴を失ったトンネルは、穴のない竹輪が竹輪でなくなるようにトンネルではありません。確かこのトンネルは、手掘りと読んだ事があります。トンネルの出口は細い道に通じていて、そこを渡って小路に入った奥の方に好々亭があるので、お客が訪れやすいように主人がコツコツと掘ったと聞いています(?)。青の洞門ですね!これは確かではないけれど、大型機械ではないと思います。
その並びにある赤いお稲荷さんの祠も撮りました。ここにはまだ榊が供えられ、白い小さなお狐さまも何匹か飾られていました。ああ、お狐様、このお山をお守りください! 
この辺りの岩は柔らかく掘りやすいので、ここも岩をくりぬいたものでしょう。血で血を洗う合戦や権力争いの果ての死者が累々と眠るこの地で、崖にやぐらと呼ばれる横穴が墓場や土牢として多く使われてきたのも、そういう岩の質だからでしょう。
好々亭にも入って見ましたが、確かにもう廃業して、荒廃していました。人の手が入らないとたちまちこんな風に荒れてしまうのかと愕然としました。
引きかえし線路側に出てくると、そこに開発の計画図と、説明会の日時が書かれた立て札が出ていました。

そして今日、出かける予定があるので、駅に出たのですが、その立て札は写真にとらなかったのでカメラを持って行き、それにレンズを向けていると、男の人が寄ってきて、「ここが崩されるのですか」という。この辺の人ではないようです。「そうですよ」というと、でも「道がないではないですか」という。たしかにここには車が出入りする道がないのです。線路沿いの道は、自転車がすれ違うのがやっと、車は一方通行です。「トンネルの向こうにも道があるのですが」といって気がつくと、その道も車一台がやっとの細い道で、それは緩い上り坂になり八雲神社から円覚寺に通じるいっそう細い道になって行く。「道がないのにどういう風にして切り崩すのだろう」とその人は首をひねっていました。
すなわちこの洞門山と言うのは、好々亭を含むひっそりした家々と線路との間に立っている緑の屏風のような小山なのです。それをたった3区画(?)の宅地のために、崩してしまおうと言うのですから、理解に苦しみます。
そもそもこの辺の緑と言うのは、もうすべて屏風のように奥行きのない物になってしまっています。私がここに来てからも次々とそうなって行くのを眺めてきました。そして今度はいよいよ、駅近くの玄関口ともいえるここをコンクリートの崖にしようというのです。
駅への道に、やっと『洞門山を無謀な開発から守ろう』と、私も貰ったチラシを板に張った立て札が2本立ちました。昨日ゴミ当番表を回しにきた同じ町内のファンタジー作家のTさんにもこのことを言うと「知らなかった」といい憤慨していました。
「開発」と言う語には、プラスのイメージがあります。開発をする側にはその意識があるでしょうが、私はそうは思わないので「破壊」と言う語を使うことにします。
とにかく明日の夕方から公会堂で説明会(この語にも私は疑問を感じますが)がありますので、それを聞いてくるつもりです。ではまた。

秋の野草&松虫たち [台峯を歩く]

お彼岸のせいもあって参加者が12〜3名だったので、かえってゆっくりと道端の野草の花を眺めながら歩きました。雑草として見過ごされてしまいそうな草も、精巧で見事な花をそれぞれに咲かせていることに感嘆しました。案内してくださる久保さんは、野鳥の会の会員だそうですが、台峯の生き物の種類だけでなくその生態や日々の暮らしまでを、つぶさに知っているような人なので、そんな観察が可能なのでしょう。(でも教えられても直ぐ忘れてしまう生徒のひとりの、私です)

先ず第一の田んぼでは、まだ葉は青いけれど稲穂が首を垂れていました。でもこのあいだの台風の影響による強風で、倒れ臥したところがあり、少し心配だと言うことです。かなりひどいので、これを人手を使って起き上がらせないと、籾から芽を出したりして自力では起き上がれないかもーと。

白萩があふれるように咲いている家の前を通って第二の田んぼへ。
ここは谷あいにあるためか、風の影響がなかったようで、倒れたものはありませんでした。しかしその隣接したところには宅地売り出しの幟が何本も立っていて、この田んぼもいつまでか、と言う思いです。
この周りで、たくさんの野草とその花を観察しました。
コセンダングサ、オオイヌタデ、オオケタデ(アカマンマといわれるイヌタデの他、タデ科は色々あって、とにかくそれぞれが違っていて、というふうに野草の奥もまた深いことを知らされます)。
蔓になって絡み付いていて、白いビニール紐が丸まったようなのは花ではなく(花は十字の白い花弁を持ってこれも美しい)花が終わった萼(ガク)で、それはしだいに白い髭のようなものに変化して(それらしきものが出掛かっているのを教えられる)それで、センニンソウ(仙人草)と言うのだそうです。なんと昔の人は、よく観察して、こういう名づけをしたものか・・・
こんな風に、一つのところに留まって、周りを丹念に眺めるだけでも、久保さんのような人と一緒だとそこで何時間でも費やす事が出来るというようなことを、感じます。そんな風ですから、今日の歩きは少数でのんびりと歩きました。なんでもない一本の草、触ってごらんといって触ると、なるほど猫の毛を撫でるような感触がある。だからこの小さな萩に似た葉を持つ草は、ネコハギ(猫萩)というのだそうです。
そんな風に時間をとりながら歩いたので、谷戸に入ったのは少し遅く、途中からは雨になり、だんだん強くなって、帰途はざんざん降りで、後に土砂降り、折りたたみは念のため(予報では夕方から雨)持っていたのですが、傘も役に立たないほどずぶ濡れになってしまいました。

しかし今回はもう一つ、松虫を眺められたことが記憶に残ります。「松虫を聞く会」があったことを私は知りませんでした(残念)。でも、今日は老人の畑といわれている見晴らしの良いところに、たくさん昆虫が見られ(ここも彼らが棲めるように、草刈をしたときにキンミズヒキの草むらなどをあちこちに残したりしたそうです)、バッタ、オンブバッタ、エンマコウロギ、そして松虫の雄と雌をじっと見ることが出来ました。でも残念ながら虫たちは夜にならないと鳴いてくれません。
松虫は、ここしかいないそうで、ここは貴重な場所と言う事。またセイタカアワダチソウは、はびこりすぎるので抜きますが、カンタン(邯鄲)は、ここに棲むらしく、それを残しておく必要もあるとか。自然の調和と言うものは早計な人間の判断を超えたものがあります。
ヒメジソと同じところに咲いていたキツネノマゴの違いは? 教えられて、成る程。キツネのムスコはあるのかなあなど、冗談。とにかく野草・雑草と言うものも、虫になって潜り込むと、まさにジャングルなんですね!

一難去ってまた一難 [台峯を歩く]

乾燥続きの夏が過ぎると、今度はもう長雨の気配です。
台峯歩きの今日は運良く曇りで、雨は夕方からだとの予報でしたので喜んで出かけたのですが、途中で激しい雨に遭ってしまいました。
そのことよりもまた別の悲しいニュースで、空よりも心が暗くなりました。

緑の丘が切り崩される事になっていたのが免れそうだと先日書きましたが、それはまだ建設委員会での決議で、本会議ではまだ決定されないことなど色々、今日出席してわかりましたが、また別の新たな問題が発生したことを、チラシで知りました。
大船から線路を曲がり、電車が横須賀線の北鎌倉駅にすべりこむすれすれの時、左手に(進行方向)見えてくる鬱蒼とした緑地、「好々亭の赤トンネル」と親しまれている「洞門山」」という〈この呼び方は知りませんでした)が、開発により中腹から上部8メートルあまり平に削り取られ、変化にとんだ軟質の崖も(いかにもこのあたりの地質が感じられて風情に富む)コンクリートの擁壁となり、赤トンネルもコンクリートで塞がれてしまうのだそうです。緑は跡形もなくなり、無機質でノッペラボーな台地が現れ、そこに3宅地が予定されると言いますが、2期工事を含めると10宅地となるそうで、土砂の搬出は小型ダンプ(このあたりは道が狭く大型は入れない。自転車ですれ違うのがやっと。車は一台がやっとのところ)1万5千台にもなるといいます。

この辺りは昔の風情がまだ残っていて、疲れて帰ってきても駅を降りてここを歩いていると、自然に生気が甦ってくる思いがします。柔らかな手触りで自然な曲線を描いた崖の岩肌とそれに被さるような緑の繁り、雨が降ってもここが雨宿りになる感じで、藤の花もきれいでした。またここにはお稲荷さんの鳥居と祠もあって、誰でしょうかちゃんとお供えもなされているのでした。これを崩しても罰が当らないのでしょうか。

ここはこれまでこの地を知る作家や映画人によっても愛されてきた風景です。
大仏次郎の御谷(おやつ)騒動(まだ保全の意識がなかった頃、緑地保全をお寺や文人たちをはじめ多くの人たちに呼びかけをした最初の運動として有名)の折、「鎌倉の玄関口」と表現した緑地、また小津安二郎の映画作品には、この辺りの風景が良く出てきます。
この近くに住んでいた高見順の随筆や日記にはよく登場してくるし、このトンネルを掘っている(確か赤トンネルは好々亭の主人が掘ったものと、私は読んだ記憶がある)場面もあった気がします。実はその高見順が自分が亡くなった後、残されたものが困らないようにと建てたアパートも、この地にあった風情のある木造建築で(私も住んでみたいと思ったくらい)、円荘(つぶらそう)と扁額が掲げられていて、自宅と同様見る価値のあるものでしたが、これは多分遺産相続の際やむを得ずでしょうが、売却され壊され、普通の住宅に分割されてしまいました。

赤トンネルを抜けると静かな八雲神社につづく細道に出て、それを渡った奥、裏山を背負ったところにあるのが好々亭という会席料理屋。3方を山に囲まれた広い庭を持った数寄屋造りの由緒ある店で、それだけ値も張るので私などはめったに利用しないけれど、庭を見るのは「どうぞ」と言う親切さで、梅の季節は見事で、別棟に円形の風変わりな凝った建物があってそこにはご主人の収集品らしい骨董や焼き物などもこれも無料で見せてもらうことが出来、わが家を訪ねてきた人には大抵そこに案内したりしながらも、経営も大変ではと心配してましたが、やはり懸念は事実になり、ごj主人も色々経営に努力されていたようですがとうとう廃業するらしく、それがひとつのきっかけかもと、思ったりもしました。
でもその廃業(そこを手放す)と、前面の緑地を切り崩すとは別だと言う事ですが。やはりどこか連動しているに違いありません。

その問題の緑地の地権者の名前を見て、あっと思ったのでした。そのK氏とは、この辺りの大地主の一人ですが、もう30年近く前、この地に始めてきた時、この居住区の上の山を大々的に開発して宅地化をする区画整理事業団と言うのがあり、それへの反対運動が行われていたのを知らなかったのですが、それに来たばかりの私達も巻き込まれ、近隣の人たちとともに2年ほどに渡って、集会から抗議活動、様々な行動をやった挙句、多少の譲歩(?)をさせたかもしれませんが、開発はなされました。それを思い出させられたのでした。その張本人の名がK氏だったからです。(もしかしてその息子かもしれません)
ですから、もうその運動の先は私には見えてしまうのです。

何度もいうようですが、それを反対する理由としては、狭い道路での工事は騒音や粉塵、また周りの住民の安全や行き来に迷惑だと言うことからしか、周りの住民は抗議できないわけです。
30年前の抗議活動も、開発事業団は、人の土地になぜ「いちゃもん」をつけるのか、それはけしからんという態度と意識でしかないわけですから、それが今もってつづいているのだと思わざるを得ません。

今日のラジオ放送を聴いていると、大林宣彦(映画作家)さんが、こういうことを言ってました。
映画を撮るとき、日本で少し前の風景が撮るのがとても難しいと。ヨーロッパでは、いやアメリカでも、携帯の宣伝などの看板を消すだけで撮れるのに、日本では少し前の風景が直ぐなくなり、すっかり変ってしまうと、むしろ江戸時代というように時代劇の方が撮りやすいと。
日本では直ぐ壊して新しくする、それが進歩という考えがまだ変らない。文化とは、遺す事ではないかと。

すこしこれについて喋り、肝心の台峯歩きのことは書けませんでした。これはまた改めて。

虫の声・ミンミンその後 [北窓だより]

蝉の声にかわり夜になると虫の声が聞こえるようになり、秋を感じます。猛暑が長々とつづいた或る日、急に肌寒いくらいになり、しかしまた残暑がぶり返すなど、害毒を流し続ける人間を翻弄するような気象が続きますが、やはり地球はゆっくりと回っていて、季節は巡ってくるようです。

先にミンミンが鳴かず、少ないなどと書きましたが、その後同様の知らせを聞いたり、しかし所によってはそんな事はないとも、また例年より多いようだと言う人もあり、地域・場所によるようです。
そのミンミンが、急に涼しくなって雨模様になった頃から、ここではむしろ盛夏の時のようによく鳴きだしたのです。そして真夏日になった一昨日、駅に至る道を歩いていたらまだ盛んに鳴いていたのです。ツクツクボウシよりも盛んに・・・。ヒグラシは鳴かなくなりました。
これらから考えるに、この辺は夏に入ってからほとんど雨がなかったので、(都内や横浜に集中豪雨・大雨が降ったときでも、遠くにゴロゴロいう音が聞こえるだけでなかなか雨が降らなかったのでした。)蝉が地面から出てこれなかった〈地面が固くなって)のではないか、と情報を寄せてくれた人の意見に今は頷いているところです。
それで晩夏になって、やっと姿を現したのでは?   と素人解釈して少し安心していますが。
今日は台風の影響で曇り空ですが蒸し暑い日になりました。
以上ご報告まで。

台峯に朗報 [台峯を歩く]

今朝の新聞を見て、あっと声を上げました。
先日、このブログで「台峯に危機」と書いた事柄、この緑地に接近した重要な緑地が広範囲にわたり崩されてテニスコートになるという出来事が、市の「手続きミス見逃し」ということで、見直されることになったと報じられていたからです。
その経過、詳しい内容については分らないものの〈今度台峯歩きに参加した時に、聞かせてもらえるでしょう)、いったん許可が出ていた届けが、ミスということで取り消された事は喜ばしいのでご報告します。

市のミスと言うよりも、法の目を潜ろうとする、それこそ鵜の目・鷹の目の業者によって、巧みに仕組まれたものであろうということが、素人の私にも見えてきますが・・・
ここが普通の緑地であればそうは行かなかったでしょうが、この土地(4450平方メートル)は「保全配慮地区」に定められているので(売買の6ヶ月前に市長に届けが必要、それがなかったらしい)、助かるかも知れないわけで、やはり法で動いている現代国家、法の大切さを感じさせられます。
市がミスと認めなかったら、このまま開発されていたその土地が救われそうなのも、それを指摘する住民たちの目があったからで、やはり民は目を光らせ声を上げねばならないのだと思いました。

6月に工事許可が出されていたのにも関わらず、業者も着工を18日(9月?)まで待っており、地元町内会などが「業者のねらいは宅地開発ではないか。緑を破壊して豪雨による災害も心配」と反対していたと言う状況の中、10日の建設委で、町内会から出されていた緑地保全の二つの陳情が全会一致で可決された。というのが、新聞記事による今の状況で、とりあえずはめでたい事です。

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