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寝台特急「はやぶさ号」乗車記(つづき1) [北窓だより]

今日は朝から冷たい雨、雪になるかもと思っていたら、案の定ニュースで都内は雪だとのこと、気温は2度ということだ。今冬初めての雪だという。
昨日の朝、ゴミ出しに行った時、ウグイスの声づくろいを聞いた。ああ、もうウグイスが春を感じ始めたのだと思ったばかりだったのに、この寒さである。

さて、これから「はやぶさ号」に乗ったときのことを書きます。横浜発18時28分。
「新横浜」発ではないのです。普通の通勤列車にまじって走るのです、といわなければ勘違いしてしまうほど、もう私たちは新幹線に慣らされているのですね。
本当にこのホームでいいのだろうか、そして停車時間は僅かなので、どの辺に待っていればいいのだろうかと心配なので、前々から落ち着かず、その日も少し早めに出かけたのでした。ホームにも少し早めに出て、駅員さんに尋ねようとしたのですが、今はその姿がほとんど見当たらないのです。合理化ということで人員も少なくなり、仕事もびっしりと決まっているようで、ぶらぶらしている人などはいません。仕方なく、ホームで工事をしている人に声をかけて、聞いてみたりしました。その人も、ああそういう列車がここに停まるみたいだ、という風な認識しかなく、それで説明してあげたりしたのでした。カメラマンも撮影に集まっているようなことも、言われて見れば見ているようでした。そしてたぶんこの辺に待っていればいいだろうということを、駅員ではなくその人に教わったのでした。そのうち向かいのホームにカメラマンたちが数人現われ、三脚を立てたりしていました。待っているのは「はやぶさ号」である事は間違いないのです。
ところがアナウンスを聞いていると、どうも事故が起こって遅れている様子、京浜東北線に人身事故があり、それにより並行して走っている列車に遅れが出ているとのこと。おやおや、やっぱり始発の東京から乗ればよかったなあ・・・と思ったものです。なぜなら、この特急券を手に入れたと話したとき、自分だったら横浜からではなく東京からにするのに・・・とある人に言われたからでした。その人はマニアではありませんが若い時に各地を旅したことがある人で、寝台特急も乗ったことがあり、始発だと入線してから発車まで時間があるのでゆっくり乗車できるし、その間のひと時がなんとも言い難い旅情がある・・・と。
言われてみればその通りでした。用事での乗車なら時間と費用がほんの少しですが節約になりますが、今度のような場合は、やはり東京から乗るべきだった、ついいつもの倹しさから安い方を選択してしまうものだと思ったのでした。特急寝台の料金は変らないのです。ただ乗車料金が少し高くなるだけだったのに・・・。こういう事故で遅れても列車に乗っていれば、ただ走るのをまっていればいいのに・・・・。
でも、かえってカメラマンたちが居て、うるさいだろうから、これでよかったのでは・・・と負け惜しみを考えたり。結局17分遅れで、列車はやってきました。今日に限って事故で遅れて・・・と気の毒がってくれていた工事の人も、やっと来ましたねと、言ってくれたのでした。
実は、予約の切符を引き取りに窓口に行ったとき、「東京〜横浜」までの寝台特急券など買う人などいないから空いている筈、そこで東京からに切りかえてもらおうと思っていたのでした。ところがそれがもう買われていたのです。その人はどうしたのでしょう?
さてこれから16時間ほどの旅が始まります。そのなかで17分遅れなど、少々寒かったけど大したことはありません。いわんや人身事故で重傷を負ったか命を失くしたかをした人に比べると・・・。
くだくだしく書き始めてしまいましたが、こんな風に書こうなどと思ってもいませんでしたが、どうせ時代遅れの長旅です。このブログも時代遅れの書き方で、書いていこうと思います。後は又次回で。

最後の寝台特急「はやぶさ号」に乗る [北窓だより]

東京から九州に向かって走っていた寝台特急、ブルートレインといわれ愛されてもいたこの列車たちが、新幹線や航空機によって次々に姿を消していたが、この3月14日のダイヤ改正で全てなくなる。これを知った時、是非これで帰郷しようと思った。
昭和30年、「もはや戦後ではない」という言葉をスローガンに、国民生活も経済も高度成長の軌道に乗り始めた頃から、「あさかぜ」をはじめとして「さくら」「はやぶさ」「みずほ」日豊線に入っていく「富士」が、次々に登場した。
それから50年、全てが姿を消そうとしているのである。もちろん「トワイライトエクスプレス」など観光を目的とした、北に向う豪華特急寝台、それに類した列車が新しく登場してきたが、それはジャンルが違う。私が上京した頃は、これが輸送手段であり、庶民にはこれしかなかった。これに乗るのが移動の手段であると同時に、またこれに乗れることが憧れでもあった。これを手に入れることが難しい時期もあり、また乗る喜びがあった。ゴトゴト揺られて眠れない苦痛もあったが、朝起きて顔を洗い、ホテルに泊まった気分で食堂車に行く贅沢も時には味わい、上りでは車窓に大きく姿を現してくる富士山に声を上げ、また下りでは瀬戸内海を眺める楽しみや関門海峡のトンネルを実感がある。また門司駅では機関車の付け替えで少し長く停車する儀式が行なわれて、これは使用されている電流の違いだそうだが、二つの島がこれによって結ばれている事が知らされるのである。
さて、そう思うと廃止まで一ヶ月余、ぐずぐずしていると切符を手に入れにくくなると思い、早速行動に移した。案の定一ヶ月前の発売と同時に売切れてしまうようである。しかも私は今回はB寝台でもソロ(個室)があり、しかも解放寝台と同じ値段だということを知り、それを取ろうと思ったのだった。しかし手を尽くして4日目に、幸いにも手に入れることができた。何と言っても今は鉄キチという人が増えているようである。それに私のように懐かしさから思い立つ人もいるだろう。後で読んだ新聞記事によると、最終列車になる3月14日は、発売から10秒で完売だったという。手に入ったことに少々興奮しながら、その日を待った。
その日については、また稿を改めます。

ドキュメンタリー映画『エンロン』 [北窓だより]

低気圧通過による風雨の後、急に春真っ盛りの気温になり(23度!)、気持ちが悪いくらいの今日、近くのホールで行なわれた自主映画で、この作品を見てきました。
「エンロン」とは、アメリカで急成長を遂げた巨大企業、それが不正を暴くある記事により一転株価の大暴落、その後に次々とその正体は明るみに出て、その記事から46日後には破綻に追い込まれた、いわゆる「エンロン・スキャンダル」と言われているそうであるが、私は名前くらいは聞いたことがあるような、という感じでほとんど何も知らなかったのである。

ドキュメンタリーであるが、まさにテレビゲームの世界のようだ。だがこれは現実の、巨大な多国籍企業が(実際はそれを動かす数名のボスたち)、実業者だけでなく政治家や銀行公認会計士や弁護士、もちろん現場で働く労働者を巻き込んで、「儲かる」という金銭感覚(すなわち欲望)による、世界を舞台にしたゲームに思えた。
1985年、天然ガスのパイプライン会社として設立されたこの会社は、テキサス州のヒューストンに本社をおいて次第に世界最大のエネルギー卸売り会社となっていく。(それゆえブッシュ元大統領父子とも、家族ぐるみの付き合いで、政治家も絡む)規制緩和によって業務拡大、僅か15年間で全米第7位の巨大企業になり、海外進出も41カ国。それにつれて業種も卸しだけでなくオンライン・サービスやブロードバンド業、エネルギーサービスなど拡大。

細かなカラクリは、私のようなものには分らないが、規制緩和、自由競争、市場原理などというものは、大きければ大きいほど更に大きくなり(大量生産で価格が安く出来る。儲けが出る)、小さいものは負けて潰れるか吸収される。次第に少数のものが巨大になっていくものなのだということが分った。
そして巨大になったものは、常にどんどん大きくなっていかねばならない宿命を持つ。すなわち停滞する事ができないのである。なぜなら大きくなるためには先を見越した設備投資をしているわけで、立ち止まると、先を見越した設備投資の分は赤字になる。たとえばインドに巨額の設備投資をして発電所(?)のような物を作る計画。しかしその電力を買えるような会社はインドにはなく、その計画は頓挫して、その現場はいまは廃墟と化しているとか・・・。
結局、エンロンの現実は赤字だらけだったようである。しかし幹部は大儲けしていて(潰れる前に何億と儲けて退職した幹部はいま南部で大地主になっている)、ボーナスも多額で、従業員たちは誇りを持って働いていた。なぜ業績は上がらないでも、現実に儲けがなくても、給料が払え、幹部たちは何億と収入が得られるのか?
それは株式市場という「場」があるからである。エンロンの株は、どんどん上昇したのだそうだ。急成長するエンロンはどこまでも成長するという「エンロン神話」が生まれ、株はどんどん買われ、値段は高くなる。儲けは、その利鞘から出てくる。バブル神話と同じことだ。実際の経営状態については、最後まで明らかにされなかったのである。それを監査する組織も、それを見逃していた、というよりそれによって懐を肥やしていたので、眼をつぶっていたのである。政治家も同じことだ。

タイタニックの船長である事を、ボスたちは感じていて、いつそれが来るかと思っていたようで、社長のケン・レイの顔が次第に疲れ衰えていくのからも感じられた。それでも投げ出すわけには行かないのは、それを知りながら、なおかれらを存続させることで儲かる人がいたからである。またその企業の未来を信じ働く従業員がいたからである。
しかし株式の大暴落をきっかけとして、2ヶ月も経たないうちに潰れ、後は負債総額2兆円、失業者は2万人、従業員(その年金資産も)をはじめエンロンに投資した巨額の資産は失われた。

エンロンの宣伝コピー(コマーシャルの最後に登場したという)は,「Ask Why」 (常に疑問を)というのは、皮肉である。責任者たちは裁判にかけられたが、最高責任者のケン・レイは、有罪判決を受けた一ヵ月後に心臓発作で死亡した。

日本でもライブドアをはじめ、似たようなことが生じている。幻想とそれに踊らされる群集心理、人間の欲望がそれを生み出すのであろう。映画の最初に映し出された高層ビルの一群は、東京のそれにそっくりで、株式市場が主導する経済というものが世界を動かしていることの実態に慄然とした。

六国見山でジョウビタキに会う [日録]

冬型の気圧配置で日本海側は崩れているようだが、ここは雲一つない冬晴れの空、日なたはもう春の暖かさである。日ざしに誘われ六国見に散歩に出た。何しろこの家は北斜面なので、この暖かい太陽も10時過ぎから2時近くまでで、後は遮られてしまう。

冬場は野鳥を見るには絶好の季節、落葉樹はすっかり葉を落としているので、鳥の姿がよく見えるからである。この間は双眼鏡を持って行かず残念な思いをしたので、今回は忘れずに持参した。
思ったとおり麓の登り口の、最も日当たりのいいところでジョウビタキに出会った。もちろん雄である。
赤橙色の胸と尾ですぐ分る。眼の上の頭部から首にかけては青みがかったグレイ、喉と羽根は黒、その羽根に紋のような白い部分がある。だから定紋のあるヒタキと名づけられたわけだが、スズメより少し大きいその鳥は、紋付を着たというふうに、どこかおっとりとして優美である。黒目も大きく可愛らしい。
双眼鏡を向けても驚かず、枝に止まって細かに尾を震わせている。日差しを浴びて気持がいいのだろうか。動くと飛び去ると思ったので、私も暫く背にポカポカ日を受けながら立ちつくしていた。別の枝に飛び移ってからもまだ飛び去る様子もなく、かなりゆっくりとその姿を堪能したのであった。
そのほか、鳥の姿はなかった。出かけたのは、朝でも夕方でもなく2時近くなので、人も犬も散歩の時間ではなく、鳥もきっと物陰でまどろんでいるのであろう。人間と同様、時間も所もおかまいなしというようなカラスでさえ、時々遠くから間延びした声が聞こえてくるだけで、静まり返っていた。
頂上から見晴らす海や山は薄い霞がかかっている。ここも無人だった。
ジョウビタキは、昔はこの家にも訪れる事があったが、今はない。その彼に久しぶりに会えたことが嬉しく、冬芽に春を感じている木々の中、落ち葉を踏みしめながら下りていった。
いまこの庭に咲いているのは、梅、ヒイラギ南天、水仙、桜草も少し。気がつかなかったけど馬酔木も(今年は花が少ない)咲きはじめました。

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