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台峯歩き そのニ [台峯を歩く]

ミツバチが大量失踪した、または死んでしまった、などの話が少し前から取上げられていた。アメリカの大規模果樹園は、受粉にミツバチなしでは成り立たない。大被害だそうである。失踪またその死の理由は西洋ミツバチを、人工的な交配によって人間に都合の良い、効率の良いミツバチに作り上げた結果ではないかと推測されている。その証拠に、自然のままで育てた蜂養家の所ではその被害がなかったという。今朝、そのBS番組を見ながら、(前にも見たことがあり、それをアレンジしたもののようだ)今大変なことになっている口蹄疫の蔓延を思う。

実は今回、喜ばしい事があった。谷戸の洞に棲んでいたニホンミツバチが2年ほど姿が見えなくなっていたのだが、それが帰ってきたのである。Kさんの報告で、私たちは道すがらそれを確かめた。西洋ミツバチの半分くらいしかなく、色も黒っぽい。確かに洞に出入りする蜂を側まで近づき、通り道を邪魔しないようにして眺めた。ほんとに良かった、お帰りなさいという感じである。

その前に、第一の田んぼの様子を書こうと思っていた。今はまだ田植え前であるが、ここに沢山の生き物の姿が眺められたからである。先ずシュレーゲル蛙が盛んに鳴いていた〈私の家からでも近所の家の池に棲む蛙の声が特に夜聞こえてくるけれど)。田んぼにはタガラシやクレソンが繁り、その上をトンボとアゲハチョウが舞っている。ときどき水を飲むために泥の上に止まったりしながら。ムクドリが泥をつついて餌を探しているムクドリ、またハクセキレイ。
いま田植えをする為のいろいろな準備の時期で、それが大変だそうである。先ず①泥上げ。次に②クロキリ。③クロスケ(スキ?)。クロは田畑の畦のことで、最初に畦を壊してそれを作り変え、それを塗り替え固めなければいけないといい、それをこのようなところでは手作業なのだそうだ。この田んぼは一段ぐらい(300坪)だそうで、これで米が4~5俵ぐらいとれる。一人年1俵として一家が自分の家の主食だけが賄えるくらいの収穫だという。
この田んぼがほとんど昔ながらの手作業に近いやり方で耕されているからこそ、沢山の生き物が生息できるという事が、四季を通じて訪れことで目の当りに感じられる。しかしこの文化遺産のようなこの田んぼがいつまで残っていられるだろう。

ぎりぎりまで宅地化してしまった第二の田んぼも、何とか健在であった。ここには珍しくなったシオヤトンボがいる。シオカラトンボと似ているが少し違っている。この姿をKさんがいつも担いでいる素晴らしく性能のいい望遠鏡で眺めさせてもらった。
さてここで、事件が起こった。この辺をうろついているノラではなく首輪が付いているので飼い猫が、蛇を見つけたらしく襲ったのである。草が刈られていてむき出しになったところを横切っていた蛇。この猫は大きく太ったキジ(毛並みを私はこう言う)猫で、どうも仕留めたようであった。
あーあー、とKさんが声を上げた。実は蛇もこの辺りからは減っているという。そういえば、わが家の近くでも春になると見かけた蛇がいなくなった。
燕の巣を襲ったりした時は、蛇は敵役だけど、やはり以前からの住民である。人家が増え、猫も増えてきたので、蛇も減ってきたのである。
「やっと生まれ出たばかりだったかも知れないのに、可哀そうなことをした。猫にやられて」とKさんは蛇を悼む。

ところでいつもの見晴台である老人の畑からは新緑に波打つ丘陵の中に白っぽい黄色の部分が見えるが、それは椎(スダジイ)の花と若葉である。この花は強烈な匂いを放つ。それもまたKさんの望遠鏡で眺めさせてもらった。

さてもう一つ面白い報告。皆と別れての帰る道すがら、家の近くの坂道を上っていると目の前にばさりと落ちてきたものがあり飛びのいた。それは石垣から落ちてきた青大将で、眼前の道路をうねりながら横切っていった。踏まなくて良かったけれど、胸の動機がちょっと納まらなかった。やはり蛇は気持の良いものではない。しかしさっき話を聞いた後だけに、蛇よ、元気で生き抜きなさいと見送る気持もまた生じたのである。
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初夏の台峯歩き その一 [台峯を歩く]

夏と冬が入り混じったような日の多いこの頃、この日は風は少し冷たいけれど陽射しが強くからりとした一日でした。
初参加の人がなぜか多く、24、5人のかなり大勢になりました。
今回は、道端の雑草といわれるものたちを主として観察していこうという事で、プリントも作成されていましたが、こういうマニアめいたものよりも、もっと木の花などの写真にすればよかった、夜遅くまでかかって作ったのに失敗したと、Kさんは苦笑していましたが、目立つ木の花は名前を知らされればすぐ分かるわけで、道端のいつも見慣れている雑草の方が、知らない事が多く、初心者にとっても興味深いものだったと思います。

特に今回はイネ科のもの、しかしこれが一番難しい。地味で種類もいろいろあり、区別も難しい。そして大体において厄介者。私も狭い庭にそのつんつん、ひゅるひゅる伸びるそれらを見たら、急いで抜いてしまいますから。
でもよく眺めるとちゃんと地味ながら花も実もあり(イネ科というだけあって稲に似ている)姿形もそれぞれに特徴あり、風情あり、とKさんに代わって言えばそういうことになります。
先ずどこにでもよく見られる、イヌムギ、カモジグサ、スズメノカタビラ(これだけは覚えました)。イチゴツナギ、カニツリグサ、ドジョウツナギ、などは、昔の人の暮らしが偲べます。その他オニウシノケグサ、トボシガラ、など。またカヤツリグサ科も似たようなもので、これにはカヤツリグサのほかマスクサ、アオスゲなど。これはイネ科と同様、線の美しさがある、とK氏は言います。彼は植物の中でも、地味でひっそりとして、庶民的でどこか淋しげなものが好みです。
花としては、ヤブイチゴ、キツネノボタン、ウシハコベ、ヤブジラミ(目に見えないほどに小さな菊に似た白い花は確かに虱のようでしょうが、ちょっと可哀そうですね)。トウバナというのも、オドリコソウのような花ですが言われて見なければ分からないように小さいのです。

でも名前など覚えなくていいのだ、とKさんは言います。それは単なる記号に過ぎない。そんなことより、よくよく眺め観察するだけでなく触ってみたり嗅いだり、時には、噛んだり齧ったりもしてその植物と馴染む事だ。そうするとそれへの愛着が出てくる。それがそのものを知るということだと。
こうなればもう、オタクですね。そう言ってKさんは笑います。だから変わり者になってしまったと。
さてそんな風に雑草たちを観察し、ハルジオン、マルバウツギ、ミズキ(ナハミズキではなく)などの花を見ながら、第一の田んぼにやって来ましたが、今日はこれまでにします。
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コール・ミレニアム第8回定期演奏会 [日録]

昨日の5月1日、蒲田にある会場アプリコ(大田区民会館ホール)に行く。
爽やかに晴れた新緑の一日、昨年と同じように一部が日本の合唱曲で、高田三郎没後10年メモリアルプログラムとしての合唱組曲「みずのいのち」(弦楽合奏とピアノ)、2部はこの合唱団がメインとしているレクイエム。今回はフォーレ(ニ短調作品48)であった。

残念なことにいつもの指揮者、小松一彦氏は体調を崩されたため荒谷俊治氏に変更。一日も早いご快復をお祈りします。
パンフによると、この荒谷さんは指揮を石丸寛氏、作曲を高田三郎氏に師事とあったので、今回も深い縁があってのことだろう。

昨年は世界的にも活躍で著名だった音楽家貴志康一の合唱曲を教えられたが、今回も初演(昭和39年)以来人気の高いというこの組曲を、楽しませてもらうことが出来た。
「みずのいのち」は、雨、水たまり、川、海、海よ、という題でそれぞれ水の相を人の姿や命の本質をも絡めながら描き歌い上げた5曲の組曲。作詞家の名前を見てああ、と思った。高野喜久雄ではないか!「荒地」の詩人で、物事の本質を、物自体の本然を究めようとする真摯な詩人である。私もその詩集を現代詩文庫だが持っている。帰ってからその経歴を一覧してみると、確かに高田三郎との出会いによって幾つかの合唱曲を手がけているようであり、また讃美歌や典礼聖歌などのあるという。演奏と歌声でその水の姿が生き生きとイメージされる。合唱団の女子は黒のドレスに水色のヴェールをまとい、ピアニストも水色のコスチュームだった。
その一つをここにも書き出してみよう。

 2曲目 水たまり

わだちの くぼみ
そこの ここの くぼみにたまる 水たまり
流れるすべも めあてもなくて
ただ だまって たまるほかはない

どこにでもある 水たまり
やがて消え失せていく 水たまり
わたしたちに肖ている 水たまり

わたしたちの深さ それは泥の深さ
わたしたちの 言葉 それは泥の言葉
泥のちぎり 泥のうなずき 泥のまどい

だが わたしたちにも
いのちはないか
空に向う いのちはないか

あの水たまりの にごった水が
空を うつそうとする ささやかな
けれどもいちずな いのちはないか

うつした空の 青さのように
澄もうと苦しむ 小さなこころ
うつした空の 高さのままに
在ろう と苦しむ 小さなこころ


休憩を挟んでの第二部は、フォーレのレクイエム。3大レクイエムの一つとされるこの曲の特徴は、あくまでも静かで透明である。儀式のためではなかったらしく、また「怒りの日」の部分がない事から批判もされたというが、フォーレ自身「死とは永遠の至福の喜びに満ちた開放感である」と述べているように、これは死を恐れる人のための子守唄だという。晩年の作であるこれは、彼自身のたどり着いた信仰の境地だったようだと、聞いたことがある。
この曲の時は、空色のヴェールは白に替わっていた 
 
外は光と命のあふれる5月、いずれも穏やかで静謐、内省的な曲の響きに包まれた会場であった。

終演後、陽射しがふんだんに差し込む階下のロビーでは、舞台の上にいた人とそれを楽しんでいた人たちとの自由な語らいがあちこちに見られたのも、今回はいつもと様子が少し違っていた。皆さん、お疲れ様でした、そしてありがとう!
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