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映画『ハンナ・アーレント』を観る。 [北窓だより]

岩波ホールで上映されているこの映画はなぜか評判のようで、混み合っているとのこと。でももう、少しは落ち着いているだろうと思い、出かけてみた。最近は神保町からはすっかり足が遠のいていたので、街をぶらついてみたくもなったのである。
上演50分前ぐらいに着いたのに、入場券売り場は列ができ、整理をする人が立っていた。開演時にはほぼ満席となった。
さて映画の題名となっているハンナ・アーレントは、ニューヨーク在住、ナチの大虐殺のとき強制収容所送りになったが、運よく脱出できてアメリカに渡り、今では大学の客員教授の職にあり著書には『全体緯主義の起源』などもある高名なユダヤ人哲学者の女性である。
映画は、ユダヤ人を強制収容所送りにした責任者 アドルフ・アイヒマンが逮捕された場面から始まる。彼がイスラエルで裁かれるとき、裁判の傍聴を要望し、それは「ザ・ニューヨーク」紙に傍聴記を書くことを希望することによって叶えられ、戦後初めてイスラエルに到着し、志を同じくした友人一家とも再会を果たすのであったが…。
裁判を傍聴したアーレントの筆はなかなか進まない。だがアイヒマンに死刑判決が下されたのをきっかけに、やっと執筆を再開し発表し始めたが、発売直後、その発言が「アイヒマン擁護」であるとされ世界中からパッシングされるのである。
イスラエル政府からは記事の出版を中止するよう警告され、その結果大学からも辞職を勧告される。彼女のもとには非難中傷の手紙が続々届く。ネット時代の今であれば、パソコンの炎上という事態であろう。しかし決してそうではない、擁護など微塵もしていない、という事を学生たちへの講義という形での反論を決意する。
大教室に集まった学生たちをはじめ大勢の聴衆を前に、堂々と言語で戦い、誤解を解く演説をすることを図り最後には拍手も起こる。私たちもそれを一緒に聴くことになり、その正論には頷かされることになる。
パッシングされる箇所とはどういう点かというと、アイヒマンが彼女の想像したような「凶悪な怪物」などではなく「平凡な人間」だったという驚きがあり、それ故に記事を書きあぐんでいたわけだが、それをそのままに感じたとおりに書いたことによる。彼が極悪非道な、邪悪な人間であったわけではなく、ごく平凡な、普通の凡庸な人間であり、それ故にこのような悪を生じさせたという表現である。
それをアーレントは「悪の陳腐さ、凡庸さ」と言う。
これはドキュメンタリーではなく演出されたものだが、裁判でアイヒマンが尋問を受ける場面は実際のフイルムを使っている。彼女は言う、「世界最大の悪は、平凡な人間が行うものです。信念も邪心も悪魔的な意図もない、人間的であることを拒絶したものなのです。」そしてこの現象を「悪の凡庸さ」と名付けると。これがアイヒマンを擁護したものと受け取られた。その上、彼女はユダヤ人指導者の中にもアイヒマンに協力していた人たちがいて、それがいっそう犠牲者を増加させたとも。もちろんこれは強制されたものであり抵抗出来なかったからであるが、それらの発言はユダヤ人を激怒させたのである。
そしてただ一人残っていた、同郷の古くからの友人も、冷たいまなざしを向けて教室から出ていくのである。

一緒に亡命してきた夫だけは最後まで彼女の理解者であったことにはほっとさせられるが、その後も生涯、「悪」について考え続けた哲学者であったようだ。

アイヒマンが、特に凶悪でも悪魔的な人間でもなかったという事については、戦後社会で生きてきたからかもしれないが、アーレントほどの驚きはない。むしろそうだろうという考えの方である。犯罪者が捕まってみれば多くがいかにも悪で乱暴者であるより普通の人間、むしろ真面目で大人しい、そうとは思えない人の方が多いからである。
しかしそのような普通の、平凡かつ凡庸な人間こそが最大の悪をなすというのは、本当に怖ろしい。
なぜそういう結果を生むのかという事が、ここでは非常に大切なことだと私には思えた。アイヒマンは繰り返し言う。自分の手では何もしなかったと、ただ上からの命令を伝えただけ、業務を真面目に遂行しただけだと。即ち彼には思考と判断力が全く欠如していた。自分の業務がもたらす結果を想像することすらできなかったのである。
考えることを放棄した葦、それは人間である止めた事を意味し、それこそが「悪の無思想性」で、「表面にはびこり渡るからこそ全世界を廃墟にしうる」とアーレントは考えたようである。

映画はこのようにすこぶる真面目で深刻な問題をはらんでいる内容で、アーレントと有名な哲学者ハイデガーとの学生時代の恋愛なども絡めてはいるが、そんなに楽しいものではないのに、どうして評判になって観客を集めているのか私には分からなかった。もしかして今と言う時代に不安を感じた人々が何かに引き寄せられる形でやってきているのかもしれない。

「なだ いなださんを偲ぶ」台峯歩き [台峯を歩く]

 昨日の小春日和の穏やかな日曜日は、今年6月に亡くなられた「なだ いなだ」さんを偲ぶ台峯歩きの日でした。いつもは20名前後なのに45名ほどにもなり、歩くには少々大勢すぎましたが止むを得ないことでしょう。この台峯歩きは、なださんが立ち上げたものです。最初の名称は、「なだ いなだ と台峯を…」と付いていたはずです。
 この辺りが開発されるという話を聞いて、近くに住むようになっていたなださんがそれは大変だと、声を上げられ、その許に有志や土地の人たちが駆けつけたのが15年前、開発をストップさせようと、台峯トラスト運動の一環として、その年の11月から、毎月一回皆で歩こうという事になったのが始まり、今回で181回、延べ4000人ぐらいが参加したとのこと、これら数字は昨日の偲ぶ会でM理事の話からの紹介。(私は、なださんがほとんど出てこられなくなってから参加しました)
 ひところはもうダメかと思われた時もありましたが、世の趨勢もあって2004年12月にここの保全が決定。これで願いは叶ったのですが、現状のチェックのためにもとこれまで通り続けられているのです。
 「偲ぶ会」を兼ねた山歩きですから、はじめの1時間は、会長や理事や案内者の話や参加者の思い出話などに当てられました。そこでの話、裏話をちょっとしますと、実はなださんは、あまり山歩きが好きでも得意でもなかったのではないかとのこと、というのも、かなりの年齢になっていたこともあるが山歩きは下手だったとのこと、倒木がくぐれなかったり、木道では滑ることが多く、でもそういう事を見ればかえってどういう風に山道を整備すれば良いかの参考にはなった(笑い)など、しかしそういう不慣れな苦手なことに年を重ねても飛び込もうという、その勇気にかえって感銘を受けたとも。
 また なださんが立ち上がってくださったことで、この台峯が世に知られるようになり、保存への道筋もつくようになったのは事実でその功績は大きいと。というのもここは名所旧跡があるところではなく、ただ昔ながらの尾根や谷や沼があるというだけの土地、(しかしその何でもない風景こそが今になっては大切なものという事が私たちにも分かる時代になった)、それになださんの名前が冠せられたことでスポットライトが当てられ、いろいろな人や知恵も集めることができたのでした。
 またこの会は、よくあるような山歩きの好きな人だけが集まるというような、同好の士の会ではなく、また会員としての義務も制約もない、ただ月の第3日曜日に、歩きたい人がただ集まって(会員でなくてもいい)歩くだけの、非常に自由な今の言葉でいえば「ゆるーい」関係の集まりで、これもなださんの姿勢に通じる所があるかもしれません(なださんは陸軍幼年学校で学ばされた反動としてフランス文学へ傾倒した)。 また開発反対と言ってもプラカードを掲げて闘争するのではなく、ただその地を歩くだけの地道な抵抗、これもなださんが最も嫌った権威や権力(『権威と権力』岩波新書)への反抗の一つの姿でもあるでしょう。とにかく医者としても、常に患者という弱い立場に立ってものを観ようという姿勢が人をひきつけると同時に鋭い文明批評ともなり、共感を呼ぶのだと思います。
 なださんは、晩年「老人党」を立ち上げ、弱者が暮らしやすい社会づくりや平和を訴えたが、面白いことに台峯歩きのコースで尾根筋で一番見晴らしの良い場所(皆で一休みするところ)を通称「老人の畑」というが、これも何だか両者通じているのであった。
 その上に、最初にこの台峯は、名所旧跡があるわけでもなく、何でもない風景だと言ったが、これもなださんのペンネームに通じているようで、今では不思議な感じがしてくる。「なだ いなだ」というのはスペイン語で、「何もなくて何もない」のだそうですから。
 10時ごろから大勢でぞろぞろ台峯に向かった。今日はほとんど見るような花はなく、ノイバラ、ムラサキシキブ、ノブドウ、スズメウリ、ガマズミ、などの小さな草や木の実が見られるだけであったし、蝶も越冬するキチョウやルリタテハなど。少々急いで正午過ぎ出口に至るが、その挨拶にこれからもどうぞ台峯歩きに参加をと言いながら、実は観察しながら歩くには4、5人が一番いいし、せいぜい20人まででないと…いう言葉に皆は苦笑。矛盾しているがどちらも本音ではある。

 なださんは、がん宣告後もいっそう精力的に仕事をし、あと33冊は本を書きたいと述べている。これは遺稿集となった最後のエッセイ集の「まえがき」にあり、その著書の題は『とりあえずきょうを生き、明日もまた 今日を生きよう』で、ラテン語のCarpe diem (その日を摘み取れ: ラテン語)を具体的に表現したものである。ご自分でもこれは、まさにハイ状態だと仰っているが、このメッセージを私もしっかり受け止めねばと思った。


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