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メタボのメダカの死 [日録]

2年ほど前から、メダカを飼っている。駅に行く路地にメダカを飼育している家があって、そこから譲り受けたヒメダカである。
最初私の失敗から何匹も死なせたりもしたが、夏場に沢山子どもが産まれ、それをお隣さんに分けたり、それが増えて、こちらが冬場にいなくなって貰ったり、いろいろなことがあったが、小さくても、というより小さいから尚更、命というものの不思議さとそれを眺めることでの安らぎ、愉しみを覚える。

ところがである。2匹だけ残って冬を越し、昨年大量に繁殖したお隣さんからとりあえず2匹だけもらった現況であるが、わが家の1匹のお腹がとりわけ膨れていることに気づいていた。
訪れた宅配のお兄さんも、玄関わきのその大鉢を覗き込んでいるので、「メダカを飼っているんです」というと、「へえ、金魚かと思った」などという。確かに小さく細身の金魚ならそのくらいのもいるかも…。
卵を抱えているかと思ったがそうでもなさそうで、お隣さんとも「メタボ」と名付けて話題にしていた。
そのメタボが、昨日横になって水面に浮かんでいた。やっぱり…。
だが、まさか実際にメダカがメタボのような症状を起こすとは考えていなかった。
そして最近、暖かかくなったし、若いメダカがやってきたので、エサを与えたりもしていたが、それを若者よりも先にパクパクやるのも彼(?)だった事を考えると、まさにその肥満が死に至らしめたのであろう。これもわが責任だと大いに反省しているが、メダカがメタボになるなどとは、ほんとに思っていなかったのである。
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地震、大津波と原発事故その後について [日録]

前回急ごしらえの浅い知識ながらこの原発事故の怖さを、そうならないことを願いつつ書きましたが、そのシナリオ通り進み、いやすでにスリーマイルを上回り、チェルノブイリに近づいていくということにもなりかけていて、言葉が出ません。
地震と大津波の惨状も、日が経って状況が分かるにつれ、その凄まじさが露わになり、まさに目を覆いたくなります。その中にあっても奮い立って頑張ろうとしている人々の姿、救援の手をいち早く差し伸べる人々など、いざとなった時の人間の底力に心打たれています。そうせざるを得ないのでしょうし、カメラに向かって意気阻喪した姿は見せられないでしょうが、視ている私のほうが、今萎れてしまいそうな日々です。
今、この大震災、また特に原発事故について世界もあらゆる意味で注目しているようですが、今度の事故で、私は初めて「爆」と「曝」の違いを知りました。被曝とは、爆弾を受けるのではなく、放射能を浴びることなのですね。この辺りももう放射能が飛んでいるとお言われてます。なるべく外を歩かないようにと。水もだんだん危なくなるということ。これなどはまだまだ大したことありませんが、20キロ圏内の指示、30キロ圏内の避難要請。故郷を捨てざるを得ない人々の気持ちを考えると、胸が痛みます。
今日本はまさに、世界にその姿を曝(さらす)、曝してもいるのだな・・・とも思います。ただただ原発が一刻も早く鎮静することを願い、また被災地の復興が一日でも早いことを願っています。ほとんど役に立たないかもしれないけれど、私なりのささやかな心や義捐金を届けることぐらいしかできませんけど。
震災後の行事や集まり、約束などはすべて取りやめになっていたが、だんだん世の中も平常を取戻してたので、今日はこれから初めて電車を使っての外出です。

これから先は、帰宅してから追記したものです。
行く先は、横浜みなとみらいにある神奈川大学エクステンションセンターの、市民に開かれた講座、「『遠野物語』と現代」(講師:安藤礼二)でした。『遠野物語』が世に出て100年ということから、遠野の現地をはじめいろいろなところでもシンポジュームや催し物が企画されましたが、これもその一つです。水野さんや福井さんに誘われてですが、毎回とても刺激的で高度な内容の講座です。遠野も今度の大震災の被害地の一つですね。
3回連続講座でしたが、最終回の前に地震が起こり延期になり(このことも劇的でありました)、2週間遅れて今日になったのです。この物語の持つ意義を、日本の古典から始まり現代までの文学、歴史や民俗学にまでわたって論じてきて、最後は現代に及ぶところで中断していたのです。
この物語が、いかに現代の、まさにこの大災難に直面した日本、そして日本人に示唆を与えるものであるか、この今を予感したようなこの最終講座であったことを知り、しかも現代と結びつく内容であったということでちょっと興奮しました。
その一端でもここに書こうと思いましたが、難しいです。

節電のため駅はホームなど肝心な場所以外は消灯していて全体が薄暗い。コンビニもスーパーも閉店かと思えるほど薄暗く、売り場だけを照明が当てられているが、どことなく薄寒い。品物も平時とそれほど変わっていないように思えるが、肝心なもの、売り切れと言われているような品目の棚はがらんとしている。みなとみらいもエスカレーターや歩く歩道は停止しているので、皆ぞろぞろと歩いています。日曜なので停電がないので、買い物などにみな出ているのです。従業員たちの応対は丁寧で落ち着いており、客も通行人も、皆平静で目的に従って行動しているという感じで、この異常な事態を平静に受け止め、淡々と行動しているように見えます。苛立った声も、喧嘩も言い争いも見かけませんでした。黙々とした感じで雑踏が動いています。
よく政治家が使う常套句、「粛々と」がありますが、今日電車に乗り街を歩いた私の印象から言えば、民衆は今のところ粛々とこの事態に対応しているように見えました。
私は花粉症になったか、風邪かという感じで鼻がむずむずして気分もよくありませんが、『遠野』講座を聞き、大変大きく深い内容で私が理解できたかどうか危ぶまれますが、何やら勇気をもらい、帰ってきました。「人はどこからきて どこへ行くのか」というのがありますが、「日本人はどこからきて どこへ行くのか」の示唆のあるこの書を持つ私たち日本人は、誇りを持っていいような気がしました。みなさん、それぞれの立場で元気に生き抜き、これからいい世の中になるように努力しましょう。
今日は計画停電がなかったのでのんびりしていましたが、明日からまた始まります。直前になければ分からないので、この点スーパーなども開店するかしないかで困っているようです。ここも予定通りだと夕方から夜の時間帯になり、一番嫌な時間帯です。電気の有難さが分かりますけど。
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地震および原発事故 [日録]

最近このブログへの投稿がほとんど見られないのは、未曾有の地震とそれによる被害の大きさ凄まじさに言葉もなくただ愕然、呆然、惨状の酷さ傷ましさにただ胸をいっぱいにするしかないからではないだろうか。私もそうであった。
またそれを身に受けた東北の被災者の人々の冷静沈着な、また勇気ある態度、その後運命を敢然と受け止め、過酷な中からでもなお立ち上がり、互いに助け合おうとするけなげで優しい心情、それらを支える厳しい風土によって培われた力強さや忍耐強さ、そういう姿に打たれながらもただ映像を眺めているしかないもどかしさを感じるばかりだった。

さらなる追い討ちが原発事故である。
津波はたとえ想定外の巨大さであったとしても天災である。しかし原発事故は正に人災なのだ。
原子爆弾を落とされた日本人の多くはこの建設に反対であったろう。私もそうである。それを自分の町や村に諸手をあげて建設したいなどという人は極めてまれなはず。しかし原発は絶対大丈夫だ、安全だという国の言葉を地元の人たちは信じてそれを作らせたのである。この結果がこれである。そしてそれによる電力の恩恵を私も受けている。
私自身を考えても最初は原発建設に反対だった。しかし特に反対運動をしたわけでもなく、旗も振らずデモにも参加してこなかった。次第になし崩しに原発は次々に建設されていった。あちこちから小さな事故や放射能漏れなどの情報が流れてきてはいたが、ただ黙っていただけである。
ところが、この事故が発生してからの政府の発表、会見が、何やら表面的ではっきりしない。何か隠していることがあるに違いない、実態はどうなのだ、とう気持ちが高まってきた。本当のことを知りたい、本当はどうなっているんだ、という気持ちに駆られ、遅ればせながら19日に週刊誌を買い集め、その記事を読み学習した。もちろんそこには誤報や偏りがあり、真偽のほども分からないオーバーなものもあるだろう。しかしガイガー計数機を持って潜り込んで取材した記事もあれば正しいかどうかは別にして学者、専門家の意見、これまでの資料も載っているので、その中から、パニックにならないようにと慎重な政府の公式発表より真実がつかめるのではないかと思ったからである。ツイッターでもいろいろな意見が飛び交っているという人もいたが、それはいま見たくなく、原子力資料室というのに確かな情報ありというのも知らせでそれも見ましたが、ここでは今どういう状態なのかということを端的に知りたいので、主としてその時発売の週刊誌によったものです。
それによるとその時すでに大変深刻な状態だということが当事者には、また外国でも分かっていたようです。やはり知らされないのは自国民なのだな… 。もちろん買占めや風評被害に見られるような事態を避けるためにも悲観論より、あくまでも楽観論で、その時が来るまで手綱を引き締めていなければならないのでしょうが。
チェルノブイリまでには至らないだろうけれど、スリーマイル島よりもひどくなりそうで、チェルノブイリにいかにして近づかないようにするかにかかっているようなのでした。そこで分かったことの肝心なことは、必死に水を注入して高温になるのを防いでいるけれどこれはあくまでも対症法で、外部から引き入れた電気が通じて電源が入り、これによって各号機のモータが作動、冷却水が循環するようになってやっと収束に向かうということでした。これはもう映像でも説明され誰も知っていることですが、通電しても冷却水が循環するようになるまでが大変だということ、いまそれに少しずつ近づいているようですが、早くそうなることを、ただただ祈るしかありません。
そしてそのわが身を挺して必死の努力をさせられるのは常に現場の人々、自衛隊員や消防士たち、その働きに頭が下がりますが、こういう事態にいたった大本はいったいどこにあるのだろうという思いになります。
私のうちのお向かいさんの次男は市の消防士だそうですが、今福島の現地に派遣されているそうです。被災地ですからもちろん手弁当、食糧・燃料をすべて積み込んだ車で、現地ではテント生活、あちらは雪も降る寒さで、大変らしいです。このように全国から派遣され協力もして懸命の放水努力などしているのですから、何とか冷却水循環が作動できるようになるよう、これも祈るしかありません。
いま、原発事故に関する政府の公式発表などテレビで見たくも聞きたくもない気持ちです。
とうとう浄水場が汚染されるまでになりました。
「乳幼児のミルクはこれを使わないように」と言われて、ボトルが店には売り切れであればいったいどうしたらいいのでしょう。急きょ都がボトルを配布するですって!
また「大人も使わないほうがいいけれど」「手に入らなければ、使ってもいいです」って?当たり前です。水を飲まなければ死んでしまいます。汚染されたものでも飲まざるを得ないではないですか!
「でもこの数値はこれを継続的に一年間飲み続ければ危険だというもので、一時的に飲むなら大丈夫」「この数値はレントゲンを一回とった時と同じ数値でしかありません」「航空機でニューヨークに往復してきたのと同じくらいです」とかいかにも科学的なことで当座を安心させようとしている手口に憤りを覚えます。そんなことではなくもっと根本的な事柄、これからどんな事態になっていくのか、その場合はどうしようと考えているのか、また我々はどういう覚悟が必要なのか、それを政府はどういう風に考えているのか、国民に向かって真剣に、真実を語り、対策を話してほしいのではないでしょうか。
でもそういう政府を作ったのは私たちであり、また原発を作らせ享受してきたのも私たち、その一員である私であるわけですから、自らの胸にも問いかけねばならぬことでしょう。

それはそうと、原発の寿命は何年だと思いますか? 30年だそうです。
「従来、原発の寿命は30年とされていましたが、福島第一は今年でちょうど40年になります。原発を40年以上も運転し続けた例は世界的に少ない。予想できないトラブルが起こる可能性が高まる。30年で廃炉すべきです」と語っているのは、NPO法人「原子力資料情報室」の西尾漠共同代表の言葉です。
またこれは資料を見て私が数えた全国各地にある(たいていは海岸)原子力発電所の原子炉の数は54基、今建設中が4基でした。でもこれは私が数えたのですから誤差があると思います。福島は6基ですね。
もうそろそろ終えることにします。
今日も計画停電があるはずでしたが、中止になりほっとしています。もしそれが実施されていたら、ちょうどこの時間が始まりのころなので慌てたところでした。昨日は夕方6時20分からと準備したのに行われず、中止かなと思っていたら突然7時に消灯。このようにこの辺は計画停電に振り回されていますが、津波と原発の二重苦に振り回されても黙って耐えている人たちを見ると、どんなに憤懣やるかたないだろうと思わないではいられません。この原発に寄りかかっている今の文明生活について、これからはじっくり考えていかねばならない時なのでしょう。
テレビに天皇陛下の姿が現れた時、なにか不思議な感覚が生じました。これは誰のすすめでもなく陛下ご自身の気持ちからだということが報じられていましたが、なぜか終戦時の放送が浮かびました。あらあらまた同じ光景?! 不謹慎かもしれませんけど。

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コール・ミレニアム第8回定期演奏会 [日録]

昨日の5月1日、蒲田にある会場アプリコ(大田区民会館ホール)に行く。
爽やかに晴れた新緑の一日、昨年と同じように一部が日本の合唱曲で、高田三郎没後10年メモリアルプログラムとしての合唱組曲「みずのいのち」(弦楽合奏とピアノ)、2部はこの合唱団がメインとしているレクイエム。今回はフォーレ(ニ短調作品48)であった。

残念なことにいつもの指揮者、小松一彦氏は体調を崩されたため荒谷俊治氏に変更。一日も早いご快復をお祈りします。
パンフによると、この荒谷さんは指揮を石丸寛氏、作曲を高田三郎氏に師事とあったので、今回も深い縁があってのことだろう。

昨年は世界的にも活躍で著名だった音楽家貴志康一の合唱曲を教えられたが、今回も初演(昭和39年)以来人気の高いというこの組曲を、楽しませてもらうことが出来た。
「みずのいのち」は、雨、水たまり、川、海、海よ、という題でそれぞれ水の相を人の姿や命の本質をも絡めながら描き歌い上げた5曲の組曲。作詞家の名前を見てああ、と思った。高野喜久雄ではないか!「荒地」の詩人で、物事の本質を、物自体の本然を究めようとする真摯な詩人である。私もその詩集を現代詩文庫だが持っている。帰ってからその経歴を一覧してみると、確かに高田三郎との出会いによって幾つかの合唱曲を手がけているようであり、また讃美歌や典礼聖歌などのあるという。演奏と歌声でその水の姿が生き生きとイメージされる。合唱団の女子は黒のドレスに水色のヴェールをまとい、ピアニストも水色のコスチュームだった。
その一つをここにも書き出してみよう。

 2曲目 水たまり

わだちの くぼみ
そこの ここの くぼみにたまる 水たまり
流れるすべも めあてもなくて
ただ だまって たまるほかはない

どこにでもある 水たまり
やがて消え失せていく 水たまり
わたしたちに肖ている 水たまり

わたしたちの深さ それは泥の深さ
わたしたちの 言葉 それは泥の言葉
泥のちぎり 泥のうなずき 泥のまどい

だが わたしたちにも
いのちはないか
空に向う いのちはないか

あの水たまりの にごった水が
空を うつそうとする ささやかな
けれどもいちずな いのちはないか

うつした空の 青さのように
澄もうと苦しむ 小さなこころ
うつした空の 高さのままに
在ろう と苦しむ 小さなこころ


休憩を挟んでの第二部は、フォーレのレクイエム。3大レクイエムの一つとされるこの曲の特徴は、あくまでも静かで透明である。儀式のためではなかったらしく、また「怒りの日」の部分がない事から批判もされたというが、フォーレ自身「死とは永遠の至福の喜びに満ちた開放感である」と述べているように、これは死を恐れる人のための子守唄だという。晩年の作であるこれは、彼自身のたどり着いた信仰の境地だったようだと、聞いたことがある。
この曲の時は、空色のヴェールは白に替わっていた 
 
外は光と命のあふれる5月、いずれも穏やかで静謐、内省的な曲の響きに包まれた会場であった。

終演後、陽射しがふんだんに差し込む階下のロビーでは、舞台の上にいた人とそれを楽しんでいた人たちとの自由な語らいがあちこちに見られたのも、今回はいつもと様子が少し違っていた。皆さん、お疲れ様でした、そしてありがとう!
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六国見山でジョウビタキに会う [日録]

冬型の気圧配置で日本海側は崩れているようだが、ここは雲一つない冬晴れの空、日なたはもう春の暖かさである。日ざしに誘われ六国見に散歩に出た。何しろこの家は北斜面なので、この暖かい太陽も10時過ぎから2時近くまでで、後は遮られてしまう。

冬場は野鳥を見るには絶好の季節、落葉樹はすっかり葉を落としているので、鳥の姿がよく見えるからである。この間は双眼鏡を持って行かず残念な思いをしたので、今回は忘れずに持参した。
思ったとおり麓の登り口の、最も日当たりのいいところでジョウビタキに出会った。もちろん雄である。
赤橙色の胸と尾ですぐ分る。眼の上の頭部から首にかけては青みがかったグレイ、喉と羽根は黒、その羽根に紋のような白い部分がある。だから定紋のあるヒタキと名づけられたわけだが、スズメより少し大きいその鳥は、紋付を着たというふうに、どこかおっとりとして優美である。黒目も大きく可愛らしい。
双眼鏡を向けても驚かず、枝に止まって細かに尾を震わせている。日差しを浴びて気持がいいのだろうか。動くと飛び去ると思ったので、私も暫く背にポカポカ日を受けながら立ちつくしていた。別の枝に飛び移ってからもまだ飛び去る様子もなく、かなりゆっくりとその姿を堪能したのであった。
そのほか、鳥の姿はなかった。出かけたのは、朝でも夕方でもなく2時近くなので、人も犬も散歩の時間ではなく、鳥もきっと物陰でまどろんでいるのであろう。人間と同様、時間も所もおかまいなしというようなカラスでさえ、時々遠くから間延びした声が聞こえてくるだけで、静まり返っていた。
頂上から見晴らす海や山は薄い霞がかかっている。ここも無人だった。
ジョウビタキは、昔はこの家にも訪れる事があったが、今はない。その彼に久しぶりに会えたことが嬉しく、冬芽に春を感じている木々の中、落ち葉を踏みしめながら下りていった。
いまこの庭に咲いているのは、梅、ヒイラギ南天、水仙、桜草も少し。気がつかなかったけど馬酔木も(今年は花が少ない)咲きはじめました。

窓辺で鶯鳴く [日録]

数日前、窓の外で何かがぐずぐずと声を出しているのに、あ!鶯が声繕い・・と思っていたのだが、今日やっと声を発したのを聞いた。まだ様になってなくて、ホケホケといったり、尻切れトンボになっていたりするのも可愛らしい。声もまだささやき、つぶやき程度。これが春たけなわとなると、林全体に響きわたる高い声になるのだから面白い。どの鳥も囀りを持っているのだけれど、その差の大きさと声のユニークさで抜きん出て、「初音」を愛されるのだろう。

とにかく日本人にとっては鶯の声は特別で、又その声もあたりを制するのですが、その声自体を賛美表現したものはあるかなあ・・と思ったとき、私の頭に浮かぶのは、同じく声を愛されるホトトギスで杉田久女の
     
      谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま

で、まことに春半ばから夏にかけての鶯の声は、「ほしいまま」という感じで響き渡るのですから。

ご存知の通り鶯は、姿としてはかなり地味な方で、鶯色というのはむしろ目白の方がふさわしく、こちらはくすんだ緑だし、冬場は藪の中にひっそりと暮らして、いわゆる笹鳴きというつぶやく声を出すだけである。白いアイラインを持つ目白の方がしぐさも姿も可愛らしく、鶯の方は眼も切れ目の感じで身体も細身、きりっとしているがどこか怖そうな女人を思わせる。でもやはり貫禄があるなあ。
さて、その声を聞いた私はやはり胸が躍って、ちょうど障子を開けていたので、慌てて声のあたりを眺めると、いましたいました! 声を出すたびに羽根を小さく広げ、パタパタさせながら喉を震わせている。懸命に練習をしているのでした。
それを見ているとなんだか私も元気が出てきました。ちょっとこのところ気分が落ち込んでいたのですが、今日の春めいた日和のせいもあって、それを眺めているうちに次第に内から元気が出てくる感じがしたのです。やはり春なのだなあ・・・と。春に感応して、そんな小さな生き物でも、これからの春に向って生きようとしている。囀ろうとしている。それは多分本能でしょう。そして同じ生き物である私の中にも、そういううごめきがあるのを感じる思いがしたのでした。それを十分に感じながら、さあ、元気を出さなくちゃあ・・・と。

博多うどん [日録]

昨日、民芸『坐漁荘の人びと』を観に行った。
年末の公演は、三越劇場となることが多い。大抵は東京駅から行くので、年末の駅の賑わいやビル街の年始にかけての装いなどを眺めながら、常盤橋のほうから歩いていく。
それでこの日のお昼は、久しぶりに東京駅南口の八重洲ビル地下街にある「博多うどん」を食べていくことにした。
昔九州から上京してきたとき、いわゆるカルチャーショックのような物を感じたけれど、うどんについてもその一つだった。東京のうどんは、汁の色が醤油色で濃い。向こうのは関西風に昆布だしで白っぽい。濃い、醤油だけで味付けしたような、うどんなどは○○が食べるような・・という風に差別語で軽蔑されるほどである。博多に、いや厳密に言えば福岡に帰ったときなど、何が一番食べたいかと聞かれると私は、「うどん」と答える。そして暫くはうどんばかりを食べ歩く。
「博多うどん」は健在だった。よくもこのような小さな、安いうどんだけしか置いていない店が、趣向を凝らし贅を尽くし、華やかな店が軒を連ねている中に生き残っているものよと思う。

正午を過ぎた頃だったが店は空いていた。土曜だからだろう。平日だといつも満席で混みあっている。たぶん近くの店員とか会社員が利用するからだ。いつも私は丸天うどんを食べる。丸天とは、さつま揚げのことで、その形の丸い物を指す。向こうでは、さつま揚げに類した物を天ぷらと呼ぶ。天麩羅も天ぷらである。さつま揚げも、「練り物」を揚げることでは変わりないからであろう。
しかしこの日は、ごぼう天にした。最近おでんにすることが多く、練り物を食べることも多くなっていたからである。ところが、「うどんだけですか?」と言われて、オヤ?と思いめぐらすと、厨房前に垂れ下がっている紙が眼に入った。ランチ定食というのが2つあって、Aが「博多うどん+いなり寿司」、Bが「ごぼう天+いなり寿司」とある。ああ、そうか。うどんは消化がいいので、男の人は大抵そのほか何かを取らねばお腹が持たない。
そういわれてみて、そのお稲荷さんも食べてみたくなった。ダイエットのことなどは考えないことにして、それを注文してみたのだった。これで740円(ごぼう天だけだと640円)。
天ぷらと名の付くものはこれだけである。かき揚げも、また値の高い海老天もない。一番高いのは鰊を載せたものぐらいだろうか。

このうどんの特徴といえば、特徴がないのが特徴というべきだろうか。讃岐うどんのように腰があるわけでもなく、姿だってどこにでもあるうどん、どちらかといえば柔らかく年寄りや子どもにには良い感じで、しいて表現すれば、しなしなつるつるした柔らかさで、なよやかな女体が湯船につかっている感じ。汁も始めはほとんど白湯ではないかというほどに薄いのだが、何度か口にしているうちに味がじわじわと広がってきて、いつまでもこのまま味わっていたい気分になるのである。それで塩分を考えれば汁は全部飲まない方がいいと思っても、最後の一滴まで味わいつくしたい気になるのである。
さて、食べにかかるのだが、かの地のうどん屋の特徴としてテーブルには丼くらいの大きさのすり鉢が必ず置いてあって、刻みネギが常に山盛りになっている。それをたっぷりとかけて食べる。もちろんここにも置いてあるのだが、皆白い。向こうでは青くて細い葱。香の良い、ビタミンもたっぷりありそうな細い刻み葱は白いうどんと見た目も美しいはずである。それに唐辛子の赤い色。
いなり寿司は、甘ったるくなく何となく家庭で作るような味であった。

とにかくうどんにしても稲荷寿司にしても、特別に目立つようなところはなく、贅も尽くさず洗練もされず、自己主張もなくといって卑下してもいない。淡々とした日常のような顔をしているのである。それはお袋の味なのかも知れない。だから時々食べたくなるのだろう
汁が白いものでは、有楽町の大阪のうどん、いわゆる、けつね即ちきつねうどん屋があって時々行ったが、無くなってしまった。新宿の紀伊国屋ビルの地階にも小さな店があるが、何となく落ち着かない。
またこの店には、学生食堂でも置いているようなチリ蓮華に似た木の匙のようなものもないので、熱い鉢を手で持ち上げて啜らねばならない。まあ町中の食堂という感じで飾りっ気もない。それゆえにきらきらした店に囲まれて気持が休まるのかもしれない。

地下街を抜けて駅の北口から地上に出て、常盤橋のほうに歩いて三越を臨む。銀杏が今黄金色に染め上げられ足元もまた落ち葉が散り敷いていた。師走なのに日ざしは暖かく風もなくその下に立ち、私はクリムトの画の中にいるような気分になりながら黄金色に包まれる。

公演については、次回に書きます。

朝顔と蟷螂 [日録]

今日はやっと曇り空になり残暑が和らいだ。昨日は大阪など36度を越える記録的に遅い残暑だという事だったが。
団十郎の朝顔も、咲き急ごうとしたのか14輪も咲きそろった。たった二本の蔓からだが。今年最高の花数である。
実は昨夕、その蔓上にカマキリがいるのを発見。青蛙のいた少し上である。お腹がはちきれんばかりに膨らんでいる。これも葉っぱと全く同じ色で、動かなければ見逃すところだった。ちょっと脅かしてみると鎌を振り上げ、三角形の顔をむける。そのままにしていたのだが、今朝雨戸を開けたとき、そこにまだいたのである。最初は彼女の姿は眼に入らず、おかしなものが蔓についているのが先ず眼についた。親指の第一関節までぐらいの大きさの、繭でくるまれたようなもの、その少し下には昨日のカマキリがまだいた。もちろんお腹はスマートになっていた。そして、これも青くて小さいバッタのようなものを腕に抱え、むしゃむしゃと頭から食べているではないか。いかにも無事産卵を終えて、お腹が空いたとでもいう風に・・・。またちょっと、ちょっかいを掛けて見ると、三角の顔を振り向けてまさに睨む感じ。餌はしっかと掴んで離さない。そのままにしていて、次に見たときはもう食事は完了。ご本人はまだそのままであった。よほどこの朝顔の館は、小さな生き物たちには快適のようである。

この小さな庭はあまり手入れをしないので草類がはびこり、まさに秋の野の風情、今は秋海棠、ホトトギス、水引草、藪蘭、蓼類などがそれぞれ花をつけて色を添えている。それらを見下ろす朝顔の棚は高台のようなものかもしれない。
これを書くころ、もうカマキリの姿は無かった。彼女の生みつけた卵だけがある。運がよければそこからすでにカマキリの姿をした糸くずのように小さなものたちが、沢山生まれてくるのが目撃できるだろう。

高校生の花火 [日録]

ここから400mほど離れたところに県立高校があり、今日は体育祭だった。最近は近隣のことを考えて音量も控えているようでうるさくはない。また理解や協力を請う気持からプログラムやチラシなども配ったりしているが、まだ見に行ったことはない。この家よりも後で建った学校で、歴史は浅い。
そこで後夜祭の打ち上げとして、何年か前から本物の花火を打ち上げるようになった。
今夜も、ちょうど夕食時、突然大きな音がしたので驚かされたが、花火であることを思い出した。
慌ててカーテンをあけて見る。北側の窓から大きく眺められるのである。最初の頃はいかにも手製花火の実験という感じであったが、昨年ぐらいからなかなか本格的になってきたな、と思わせるところが出てきた。薬玉のように大きく広がりそれが柳のように垂れる尺玉や、あちこちに小さく連続して打ち上げる花火の色合いも新しい色があったりして、ほんの15分足らずであるけれど、結構楽しめるのである。
学校は丘の中腹にあるので、町の多くから眺められると、チラシには宣伝してあった。花火はよほど注意しないと危ないし、又職人技なので技の習得や準備も必要だろう。頼もしいなと思ったりしている。
それが終わったと思っていると、まだ花火らしい物音がする。おかしいなと覗いてみると、それは遠くの方で花火が打ち上げられているのであった。もう花火の時期ではないし・・・・野球場か何かだろうか?
玄人の花火と素人である高校生、若者の花火を、同時に見た夜であった。

朝顔と青蛙 [日録]

雨がちになり、やっと秋の気配がただよいはじめました。
今年はほんとうに猛暑の長丁場でした。蛇でもぐんにゃりと伸びてしまいそうな。

水野さんから頂いた朝顔の苗2本が、この庭は日当たりが良くないので最初は発育が遅れていたものの、ちゃんと蔓を伸ばし、あわてて立てた竹を伝わって軒近くまで這い登り花を咲かせています。
団十郎という品種で、色はご推察どおり海老茶色、葉っぱは地模様のある面白いもので、毎朝咲く花の数を数えて楽しみしているのですが、昨日の朝、雨戸をあけた時、葉の上に小さな青蛙がいるのを見つけました。
日当たりが良くないといっても南側の一番日当たりがいいところ、ちょうど目の前の蔓の上に体長2センチほどの青蛙が眠そうに半眼あけて坐っていました。青蛙を見るとつい思い出してしまう 〈青蛙おのれもペンキ塗りたてか (芥川龍之介)〉の句ですが、ほんとうによく見ないと判別できないほど、いきいきとした葉っぱ色。

それぞれの鉢に3本立ててぐるぐる巻きつけるやり方に失敗したので、それぞれの長い一本にどんどん這い上がってきたのを互いに交差させたりしていましたが、その平行になったところの、蔓本体と葉と蕾の三角地帯に、小さな身体を乗せていたのです。柔らかな喉がひくひく動いているのがわかり、目の前に人の顔があり、間近に寄せても恐れません。半眼の眼が少し細くなるのは、又眠りにはいろうとするのでしょうか。
どこからやってきたのだろう。そしてなぜこんな朝顔の蔓の上のほうにまで・・・・? わざわざこの細い蔓を上ってきたのだろうか? 小さな小さな青蛙、蚊でも食べようとするのだろうか。

その日出かけて帰ってきた時も、まだ同じ状態でそこにいました。夕方になり雨戸を閉めようとするまで・・・・。
その時は黒い小さな眼をパッチリ開けて、少し位置は変わっていましたが、そのうちに葉の真ん中にぴょんと乗りました。それでも滑り落ちる事はないほどに軽いのでした。そのままでいることを願いながら、しかい暫くして見るともう姿は消えていました。
ぴょんと下の草むらに飛び降り、どこかへ行ってしまったようです。

かつて道端に青蛙がいたので、少しだけ滞在してもらおうと、捕らえて持ち帰り、大きな水盤風鉢に入れ、きちんと蓋をしていたつもりなのに、朝になるともうどこにも姿かたちはありませんでした。あの体で重たい蓋を持ち上げたとは考えられません。蛙はどこか妖術使いめいたところがあります。

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