So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

憂い深き台峯を歩く。 [台峯を歩く]

秋が深くなったというより、朝夕は冬の寒さにもなるこの頃です。
昨日は台峯歩きの日でしたが、ここも憂いが深くなってきました。

以前、北鎌倉駅ホーム脇の、洞門山と呼ばれている緑地が壊され開発されようとしていて、それが市民たちの反対運動の結果中止されたことは報告しましたが、今またそこも問題が生じています。これは台峯ではありませんが、この事も枕として報告します。
洞門山緑地の外れと駅のホームの間は、岩塊のトンネルになってつながっているのですが、それを壊して道も広げ、アスファルトの道路にしようという計画がまた持ち上がったのです。確かにトンネルの高さも低く、下の道路も土なので雨の時は歩きにくい事もありますが、それでも円覚寺の結界内であり鎌倉の西の境界として風情のある景観を見せています。それを壊して斜面はコンクリートで固め、ノッペラボウの道路にしてしまえば安全で歩きやすくはなるにしても、鎌倉の入り口としての趣は全くなくなってしまい、又その道の続きは住宅に面した細い道なのでそれらを拡幅するわけにはいかないでしょう。とにかくそのような問題が今だあちこちに出ています。

それで台峯の話に移りますが、ここも長い市民運動の結果残されることが決まった後も歩き続けているのは、そんな問題が起こらないようにと監視を続けるためです。しかしそれらの土地の所有者でもなくなんら権限を持っているものでもない者たちですから、行政と掛け合ってもその声はなかなか届きません。
とにかく今、市の緑の行政が後退しているとのことです。先ず財政上のしわ寄せがきており、また人事面でも緑の事が分かる人材がいないことなどもあって、これからの台峯には暗雲が漂い始めているようです。緑を守ることはやはりそれなりに知識が要り、お金もかけねばならないからです。
竹内市長の時は良かったけれどと或る理事が呟いていましたが、折しも今朝の新聞にその竹内謙氏を偲ぶ会の通知が出ていました。

何が問題かという事はなかなか一口には言えませんが、とにかく今回で193回目となり、参加者も述べ2000人を超えるまでになったこの会は、はじめ「なだ いなだ」さんを中心にして発足したもので、素晴らしい景観や珍しい景色もそれはそれとして良いが、「何気ない所にある身の回りの自然こそが、貴重な自然だ」と、この台峯を愛されそれをいつまでも残したいという気持ちから歩き始めたことを発祥としています。それが効率性や利便性で次々に壊され開発されている今日、それが何とか残されいるこの台峯とその周辺がだんだん貴重なものになっていったのです。これからも歩く会の人たちは、ここがどのようになっていくか監視しながら歩いていくでしょう。土地生え抜きの人もいますが、近郊の人、千葉や東京の池袋辺りの人も参加しているグループなのです。
暗雲の正体は私が参加して知りえた範囲で追い追い報告していくつもりですので、今日はここまで。

秋晴れの台峯 [台峯を歩く]

天候が定まらないこの頃、しかし昨日は貴重な秋晴れの一日となりました。
定例の台峯歩き、あまりの天気の良さに却って参加者は少なくて15,6人ほど。
秋は実りの季節、と言ってもここではドングリに注意を向けながら歩くという事で、カラーコピーにはいろいろなドングリ(コナラ、アラカシ、スダジイ、クヌギ)が紹介されていました。
今年はとてもドングリが多いようです。いたるところにドングリが落ちていました。
またよく似ているも同士の見分け方も・・・。ミゾソバとアキノウナギツカミ、ノコンギクとヨメナ(でもこの二つはどちらも一般的には野菊と呼ばれているもので、そんな差など気にしなくていいようなものですが、何事も踏み込んでみればちゃんとした違いがあるのですね)
さて秋と言えばススキですが、そのススキとオギの違い(これはちょっと知っておおきたい感じ、オギはあまり水分は必要としないそうで乾燥地に多く、またノギという穂の中心に一本だけ長い穂ー冠毛ーが出ているのがススキ)、そのオギを確かめたりしながら歩きました。
しかし老人の畑(見晴らし台)に来た時、いくつかあったススキの群れの一つがゴッソリと刈り取られていました。まだ穂が出たばかりの時に誰かが盗んで行ったに違いありません!

先月もKさんが、ちょっと心配なことがあると言っていたことですが、なぜか今年はクモが痩せている(卵が産めないと子孫が残せない)とのこと。クモはこの辺りの昆虫の生態系の頂点にいるので、それが痩せているのが心配、確かに今日はいつも見られた赤とんぼの姿が見られませんでした。1年ぐらいの異変はいいけどこれが続くようになると心配だとのこと、またこれはKさん自身の観察にすぎないのでこの地だけの事かもしれないけれど・・・という事、あの東日本大震災の津波が襲ってきた際、シカやイノシシの死骸は見つからなかった。彼らはそれを予知して逃げた可能性があるそうです。なにか自然に異常がなければいいのだが・・・。

貴重な日本ミツバチのいる木の洞を眺め、二つの田んぼでは刈り終えた稲が干されているのに安心し(稲架にではなく直接畔に稲束が並べられて)、エナガやアカゲラ、ヒヨドリ、ホホジロなどの姿を目撃しながら爽やかな秋を味わってきました。

暫らくぶりの台峯歩き [台峯を歩く]

昨日は予想外に秋晴れのお天気になりましたので、このところ休んでいた台峯歩きに行ってみました。参加者は15、6人で歩くにはちょうどいい人数でした。
渡されたプリントは、表も裏も蝶ばかりで、今日はその秋の蝶に特に目をやりながらという事になりました。そこにはルリタテハやキタテハ、キチョウなど彩りの綺麗なものもありますが、この季節蛾と間違いそうなセセリチョウや爪くらいの小さなしじみちょうの仲間のほうが多いのです。
わが庭でも確かに飛んでいるようですが、小さくて地味なそんな蝶などにあまり目がいかなかったことに気が付きます。また蛇の目玉のような模様を持ったジャノメチョウの仲間なども…。

また実りの秋なので、田んぼの稲も気になりましたが、二カ所の田んぼはそれぞれ黄金の稲穂を垂れていました。今年は暑かったせいか少し生育も早いようだとのこと。でもイヌビエなどの雑草もあちこちに交じり、それは草取りをあまりしなかったせいで、いかに田んぼと言うものが人手を要するかが分かります。

さて例の見晴らし台である老人の畑では、サシバの渡りが見られるとのこと(上空が渡りのルートになっている)、この時もそれが見えたそうですが、あまりに高いところに飛んでいるため肉眼では無理のようで、倍率の低い双眼鏡しか持っていない私には到底無理でした。

この季節山の木の花は少なく、タラ(若芽の時に食べる)の花とヌルデの花ぐらいで、どちらも地味で花とは見えないもの、草の花は結構よく目にするミズヒキソウ、キンミズヒキ、白い花のヨメナやセンニンソウ、藤色のツルボやヤブラン、タデの類、萩類のほか老人の畑には南蛮萩の一群れが派手な色彩を見せていました。

さて気になることを一つと、これもKさん。今年は草むらによく見られる女郎蜘蛛がとても痩せているので心配だとのこと。蜘蛛は昆虫を食べるので、それらが痩せているのは、餌となる昆虫が少ないせいだと。確かにデング熱などの元凶と騒がれたいるものの、例えば蚊が今年は少ないな、と感じていたからです。
ゴキブリも食べてくれるとのことなどで、私は家の中の蜘蛛は殺さないようにしていますが、今年はあまり見かけず、小さいのがいてもいつの間しかいなくなってしまっています。庭にいる女郎蜘蛛も確かにあの派手な色を見せるものは少なく、細々とした感じです。
変な蚊が出てくるのも生態系を崩す方向にばかり進んでいく人間への警告でしょうか。
それでも虫たちも懸命に生きているようで、草むらで昼寝しているのかマツムシをつくづく眺め、また草むらでお腹に卵をいっぱい抱えたショウリョウバッタと捕まえました。(もちろんすぐ解放しました)

トンボもオオイトトンボ、ウスアカネなどを見かけ、秋を感じてきました。

萌える緑の台峯歩き [台峯を歩く]

 今日は小雨が降ったり止んだりの一日となりましたが、昨日は風の冷たい曇り空ながら時には陽も射してくる歩くにはいいお天気でした。
天候も不順、社会的にも様々な不安悲惨なニュースもあるせいか、参加者も少なく12、3人だったので、それぞれのんびりと気ままな散策となりました。と言ってもコースはいつも通り、これが188回目になったと聞かされます。もうホタル観察会も近づいてきていて、その日取りも告げられました。
しかしここを来年4月に開園するための市による整備がいよいよ始まったらしく、それがこれからの懸念材料となりそうです。というのも安全とか法律などうを基準とした市の整備は、ここのような微妙な自然と地形をかえって壊してしまうことが多々生じてしまいそうだからです。まさにその気配は入り口辺りの仰々しいばかりの杭やロープの張り方にも示されていて、谷戸に下りる細い坂道や沼のほとりを歩く細道も拡幅されてしまうのは目に見えていて、そうなると蛍の生息も危ういものになりかねず、もしかして蛍観察会も今年で終わりになるかもしれないなあと思いつつ歩きました。
木々の多くが今一斉に芽吹きをして、雑木林はみずみずしい緑のグラデーションです。その緑の違いで樹木の種類を推測しようと試みるのですが、毎年のことながらなかなか覚えられず難しいです。
濃い緑はシイ・カシなどの常緑樹、鮮やか緑はシテやミズキ、黄色っぽい緑はクヌギやエノキ、白っぽい緑はコナラなどですが…。

葉の芽吹きだけでなく、同時にそれら樹木の普段は目につかない花の観察でした。そこにもちゃんと雄花と雌花があり、それぞれ簪のように垂れ下がっているのが雄花で、その近くに小さな雌花、それをコナラ、クヌギ、イヌシデなど手に取って観察、またヒメコウゾの不思議な形のそれらは、教えられなければ気が付きません。アケビの花もアズキ色の雌花雄花があり、それも初めて手元で眺めました。
また道端には地味で小さな野の花たち、カシオドシ、ウラシマソウ、ムラサキケマン、タネツケバナ、ツルカノコソウ、キランソウ、ヤブニンジンなど。ヒメオドリコソウは外来で繁殖力が強く、在来種のホトケノザを侵食してしまいそうだとのことなので、それを少しばかり退治することにするが手にあまります。

鳥は、昨日はヤブサメが見られたという事で、今日はその声らしいものを聞いたという人もありましたが、私には難しいです。またウグイスやシジュウガラの姿、また珍しいオオルリをカメラにばっちり収めた人もいました。
今日はゆっくり観察しながら歩いたので、少し時間を超過して解散場所に到着。      以上

桜と土筆 [北窓だより]

このところの陽気で桜は一気に開花、都内では盛んに散っているようですが、ここから見える雑木林の桜色は、褪せてはいますがまだ健在です。先日の激しい風雨にもまれても開ききらない花はしっかりと枝にしがみついているのを見て、命と言うものの強さ、しぶとささえ感じさせらました。この辺りはソメイヨシノの親系で、開花も少し遅い、原種の大島桜(白っぽい)が多いので、いっそうそう感じるのかも知れません。
この暖かさと雨によって、草木はいっせいに萌えはじめ、六国見山頂から眺めた丘陵も、白や桜色から緑のグラデーションへと色合い華やかに染まりはじめ、鬱々とした気持ちもこの時ばかりは晴れる思いがします。
その道すがら土手に土筆を見つけました。スギナが一面に生えているのには気がついていましたが、今日あちこちにそれを見つけたのです。さっそくそれを摘んできて、といってもほんの10本ほどですが、食しました。茹でて水にさらし、卵に混ぜて卵焼きに・・・。全くのオママゴトですけれど・・・(笑)。

鶯鳴き始める。 [北窓だより]

予報通りに今日は、夕方ちかくから雨風強くなって春の嵐の感じです。
朝のうちはまだ穏やな曇り空で陽も射すこともあったので、雨にならない前にとこの辺り歩いてきたのですが、その時ウグイスの声をききました。どうしてか何時ものように声繕いをするような拙い声ではなく、もうきっぱりとした声で高く二声、鳴いたのにはちょっと驚き、本当にウグイスだったのか? と思ったほどでした。

前回ブログを書いたのは雪が降った日の事で、その後それ以上の記録的な大雪となり、国中が大騒ぎしたので、ピンポイントの私的状況など発信する気持ち余裕もなくなってそのままサボってしまいました。でもやはりウグイスの声をきくと、やはりちょっと報告したい気持ちになりったのでこれを書いています。いよいよ春になったなあ・・・と私自身感じたからです。
梅に鶯と言うものの花の蜜を吸いに来るのは大抵はメジロなど、でも梅はまだ春も浅いうちから咲きはじめ、長い間咲きつづけるので、どうしても春を告げるウグイスと対に考えられてしまうのでしょう。

三月は冬将軍と春の女神の争いの月、大体荒れ模様の日が多いことは昔から決まっていますが、それでも毎年その様相が異なるので、今こそが最たるものと思ってしまうのかもしれません。それでもやはり年々気象は荒っぽくなっていく感じです。
こういう荒れた日は、折角張り切って声を上げていたあのウグイス君は、どこにどうして凌いでいるだろうか、と思ってしまいます。



大雪、その後。 [北窓だより]

今朝、外に出て驚きました。軒場からツララのようなものが垂れ下がっているのです。
ほんの3、4本のことですが、屋根に張り出すように積もった雪が解けて、その滴がツララとなって凍ったのでした。それほど今朝は冷え込みました。外の寒暖計は2度でしたが、まだたっぷり残っている雪のために風がとても冷たく感じられます。横須賀や千葉では雪になっているところもあるようです。

大雪の翌日、入っていなかった新聞は午後になって、前日土曜日の夕刊と一緒に届きました。バイクの音を聞かなかったようなので、もしかしたら歩いて配っていたのではないでしょうか。ほんとうにご苦労様です。またこの日は最初の雪かきでバイクぐらいが通れる細い道をつくったのですが、その後若い人たちの手で夕方ごろまでかかり拡幅されました。これでゴミ収集車も上がってこられることになったわけで感謝。肝心のゴミ収集車ですが、やはりかなり遅れて、午後遅くに来たようです。雪のためあちこちで難渋したのだと思います。

今少しばかり陽がさしてきましたがおおむね曇り空で、気温が上がらず庭の雪も解けずに固まり続けています。当日にやっと雪の中から救い出したヒイラギ南天(南天ヒイラギ?)やマンリョウは、最初それまでの雪の重みで腰を曲げてましたが何とか元に近い形に返りましたが、雪のためキンシバイなど枝が折れてしまいました、道路沿いにあるハクチョウゲが固い雪に根元から折り曲げられているのを発見して救い出そうとスコップで取り除く努力をしましたが、どういう事になるやら…。
まだ深い雪の下に埋もれたままの植物たち…そのなかで大きく膨らんでいた梅の花が、雪の滴をはらいながら一輪、一輪と咲いていく姿は誠にけなげです。

大雪の朝。 [北窓だより]

この辺りでも、予想外のこれまでにない大雪になりました。
東京では45年ぶりの大雪で27センチ、熊谷では43センチ、千葉では記録し始めてから最高の33センチとか報じられていましたが…。
わが家は坂道の中腹、道路も行き会う処に建っているので、吹雪模様になった昨夜、どうも雪のたまり場になったようです。朝起きてみると、猫の額ほどの庭には雪が深々と積り、郵便受けのある入口に出ることさえ出来なくなっていました。しかも今にも咲きそうになっていた南天ヒイラギの木が雪の重みで頭を垂れて道を塞ぎ、あまりに重たく雪を落とすこともできず、仕方なく玄関からではなく居間のガラス戸の方から辿ろうとしたのですが、それでも長靴を履いてもすっぽりと入って腰まである深さがあるので慌てました。もちろんバイクは下の坂を上がってこれませんから新聞も届いていませんでした。この辺りは坂道なので雪が降ると各戸雪かきをしなければならないのですが、それにしても今度の雪はやはりこれまでになく深いものでした。
ちょうどその時前の道の雪かきをしていた近所の若いご夫婦が玄関から入口までの除雪をしてくれ、
大変助かりました。ほんの5、6メートルぐらいなのにやはり大変で、こんな雪かきを雪国の人は毎日のようにするわけで…と思いやりながら言い合いました。その細い通り道も両側は5~60センチほどの雪壁になり、何メートルにもなる雪国からすれば笑止ものですが、なんとなく雪国を思わせるのでした。道路の雪かきをした細い道もやはりちょっとした雪の壁になっています。
でも細い道では2輪は上がってこれますが、4輪はダメなので、明日のごみ収集車はやってこないかもしれません。以前にもそういう事がありましたから。

雪晴れの朝は雪の反射で眩しいくらいに光があふれて、軒端から雪解けの滴が盛んにしたたっています。この家の屋根からも積もった雪が大きく張り出し今にも落ちそうになっています。
昨夜、玄関先に並べてあったメダカを入れた2鉢に、雪がどんどん降りこんでシャーベット状になっているのに気がついて慌てて屋内に入れたものも、今朝はまだシャーベット片が水面にまだ浮いているものの、水草の下にメダカはお互いに集まって生き延びていたようなのでほっとしています。
風流にもガラス戸の手前は雪見障子になっているのですが、雪見をして愉しむというよりは、この陽射しで少しでも雪が解けてくれるのを望むような心境にさえなっています。
今日はほんの少しですが、雪国の暮らしの一日となったようです。

御前崎に行く。

大晦日から元旦にかけて御前崎に行ってきました。
長い間グループで栃尾又温泉で年越しをしていたので、大晦日の夜を独りで過ごすのはやはり少々寂しく侘しく、今年はその中の一人と御前崎で初日の出を観ようと思いついたのでした。
栃尾又のような素朴さが残るところが好きなので、灯台に近い御前崎ユースホステルに申し込みました。私はもうユースの年齢から遥かに遠いところに来てしまっていますが、いまだにその会員なのです。(シルバー会員と言う枠もあります!)
御前崎は新潟と比べて近いところと思うのですが、交通の便から言うと鉄道は乗り換えが1から2つあり、バスも終点から終点まで2つの路線で行かねばならない、ちょっと大変だと気兼ねのいらない人でなければ誘えません。
結果から言えば、宿は灯台の傍から初日の出を見るに最適のスポットの近くにあり、朝の6時50分頃が日の出と言う少し前に宿の主人に連れられて出かけましたが、少し霞んではいるものの(と常連のカメラマンは言ってましたが)ばっちり見られました。
またユースホステルも、最近は利用していないので最初はちょっと勝手を忘れて戸惑うこともありましたが古いながらも懐かしいい雰囲気がいっぱいでアットホームな感じ、食堂兼ロビーには薪ストーブが身体にやさしい温もりをはなち、この薪の炎が懐かしく毎年やってくるという常連客もいました。
料理も栃尾又と同様、大晦日と元旦は仕来りどおりの特別のご馳走で味付けもよく美味しく、年越しそば、元旦の御節からお雑煮までちゃんと出てくるというサービスぶり、これでいつもと同じ安い宿泊料と食事代と言うのは申し訳ないような気がするほどでした。

しかしそこにたどり着くまでの行程は想像した通り大変でした。電車は新幹線を使っても乗り換えねばならず時間もさほど短縮されないのですべて普通、しかし快速アクティーを使えば少し早くなるのでそれで乗り換えの熱海まで行きましたが、問題は静岡駅からのバスです。年末年始なので本数が減り、しかも2本目のバスの時の待ち時間が1時間以上もあって、大晦日なので店はすべてしまっているという有様、それ程冷え込んではいない晴れでしたからよかったものの着込んできて良かったと思ったものです。
という事で、電車で2時間半ほどそこからバスでも同じくらいかかってしまい、合計乗り物に5時間以上。帰りはバスの時刻表をもらってちゃんと時間を考え、早めに宿を出てバスは所定の1時間半ぐらいで調子が良かったのですが、折も折、強風のため熱海:湯河原間が一時不通になってしまいました。その後何とか復旧し、速度制限をしながらの運行になりましたが、アナウンスの指示に従って乗客はあちこちしなければならない羽目になり、往復とも時間がかかりあたふたする様はまさに東海道の弥次喜多道中でした。

でも食堂で相席になった一人は香川県からずっと一人で自転車旅行の最中で、これから横浜まで行き、そこから少し引き返して栄区にいる親戚の家に行くのだという頼もしい青年、またこれも横浜から一人でやってきたという気持ちのいい娘さん(この人もずっと電車は普通で来たとのこと)などとちょっと話をしたりして、こちらも元気をもらえる感じでした。また初日のスポットに案内してくれたご主人の話ではこの辺には民話が多く、オオネズミを退治してくれた猫の話などちょっとしてくれ、確かに「猫塚ネズミ塚」などもあるのでした。
宿もよく楽しかったものの、そこまでの旅程は大変で帰ったらくたくたになりました。
元旦からこれでは今年は多難の年になるのかなあと思いつつもそれも人生で面白いかもと覚悟を新たにした元旦です。



映画『ハンナ・アーレント』を観る。 [北窓だより]

岩波ホールで上映されているこの映画はなぜか評判のようで、混み合っているとのこと。でももう、少しは落ち着いているだろうと思い、出かけてみた。最近は神保町からはすっかり足が遠のいていたので、街をぶらついてみたくもなったのである。
上演50分前ぐらいに着いたのに、入場券売り場は列ができ、整理をする人が立っていた。開演時にはほぼ満席となった。
さて映画の題名となっているハンナ・アーレントは、ニューヨーク在住、ナチの大虐殺のとき強制収容所送りになったが、運よく脱出できてアメリカに渡り、今では大学の客員教授の職にあり著書には『全体緯主義の起源』などもある高名なユダヤ人哲学者の女性である。
映画は、ユダヤ人を強制収容所送りにした責任者 アドルフ・アイヒマンが逮捕された場面から始まる。彼がイスラエルで裁かれるとき、裁判の傍聴を要望し、それは「ザ・ニューヨーク」紙に傍聴記を書くことを希望することによって叶えられ、戦後初めてイスラエルに到着し、志を同じくした友人一家とも再会を果たすのであったが…。
裁判を傍聴したアーレントの筆はなかなか進まない。だがアイヒマンに死刑判決が下されたのをきっかけに、やっと執筆を再開し発表し始めたが、発売直後、その発言が「アイヒマン擁護」であるとされ世界中からパッシングされるのである。
イスラエル政府からは記事の出版を中止するよう警告され、その結果大学からも辞職を勧告される。彼女のもとには非難中傷の手紙が続々届く。ネット時代の今であれば、パソコンの炎上という事態であろう。しかし決してそうではない、擁護など微塵もしていない、という事を学生たちへの講義という形での反論を決意する。
大教室に集まった学生たちをはじめ大勢の聴衆を前に、堂々と言語で戦い、誤解を解く演説をすることを図り最後には拍手も起こる。私たちもそれを一緒に聴くことになり、その正論には頷かされることになる。
パッシングされる箇所とはどういう点かというと、アイヒマンが彼女の想像したような「凶悪な怪物」などではなく「平凡な人間」だったという驚きがあり、それ故に記事を書きあぐんでいたわけだが、それをそのままに感じたとおりに書いたことによる。彼が極悪非道な、邪悪な人間であったわけではなく、ごく平凡な、普通の凡庸な人間であり、それ故にこのような悪を生じさせたという表現である。
それをアーレントは「悪の陳腐さ、凡庸さ」と言う。
これはドキュメンタリーではなく演出されたものだが、裁判でアイヒマンが尋問を受ける場面は実際のフイルムを使っている。彼女は言う、「世界最大の悪は、平凡な人間が行うものです。信念も邪心も悪魔的な意図もない、人間的であることを拒絶したものなのです。」そしてこの現象を「悪の凡庸さ」と名付けると。これがアイヒマンを擁護したものと受け取られた。その上、彼女はユダヤ人指導者の中にもアイヒマンに協力していた人たちがいて、それがいっそう犠牲者を増加させたとも。もちろんこれは強制されたものであり抵抗出来なかったからであるが、それらの発言はユダヤ人を激怒させたのである。
そしてただ一人残っていた、同郷の古くからの友人も、冷たいまなざしを向けて教室から出ていくのである。

一緒に亡命してきた夫だけは最後まで彼女の理解者であったことにはほっとさせられるが、その後も生涯、「悪」について考え続けた哲学者であったようだ。

アイヒマンが、特に凶悪でも悪魔的な人間でもなかったという事については、戦後社会で生きてきたからかもしれないが、アーレントほどの驚きはない。むしろそうだろうという考えの方である。犯罪者が捕まってみれば多くがいかにも悪で乱暴者であるより普通の人間、むしろ真面目で大人しい、そうとは思えない人の方が多いからである。
しかしそのような普通の、平凡かつ凡庸な人間こそが最大の悪をなすというのは、本当に怖ろしい。
なぜそういう結果を生むのかという事が、ここでは非常に大切なことだと私には思えた。アイヒマンは繰り返し言う。自分の手では何もしなかったと、ただ上からの命令を伝えただけ、業務を真面目に遂行しただけだと。即ち彼には思考と判断力が全く欠如していた。自分の業務がもたらす結果を想像することすらできなかったのである。
考えることを放棄した葦、それは人間である止めた事を意味し、それこそが「悪の無思想性」で、「表面にはびこり渡るからこそ全世界を廃墟にしうる」とアーレントは考えたようである。

映画はこのようにすこぶる真面目で深刻な問題をはらんでいる内容で、アーレントと有名な哲学者ハイデガーとの学生時代の恋愛なども絡めてはいるが、そんなに楽しいものではないのに、どうして評判になって観客を集めているのか私には分からなかった。もしかして今と言う時代に不安を感じた人々が何かに引き寄せられる形でやってきているのかもしれない。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は180日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。